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'''モーリス・エマニュエル'''('''Maurice Emmanuel''', [[1862年]][[5月2日]] - [[1938年]][[12月14日]])は[[フランス]]の[[音楽学者]]・[[作曲家]]。
 
本名マリ・フランソワ・モーリス・エマニュエル(''Marie François Maurice Emmanuel'' )。[[ブルゴーニュ]]出身。[[1869年]]に家族に連れられ[[ディジョン]]に移り、同地の聖歌隊員になる。[[パリ音楽院]]に入学し、作曲を[[レオ・ドリーブ]]に師事。同窓生の[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]と知り合い、生涯の友人となった。
 
エマニュエルの関心は、[[民謡]]や[[オリエント]]の音楽、異国の[[旋法]]にあった。エマニュエル作品の旋法の用法はドリーブを不愉快にし、ドリーブはエマニュエルの[[ローマ大賞]]への参加申請を差し止めた。その後エマニュエルは学問の道を歩み、[[1895年]]に[[古代ギリシャ]]の音楽に関する論文を執筆し、[[1909年]]にパリ音楽院作曲科の教授に任命された。門人に[[オリヴィエ・メシアン]]がいる。[[1904年]]から[[1907年]]まで、([[シャルル・トゥルヌミール]]がオルガニストを務めた)聖クロティルド教会の聖歌隊指揮者を務める。