「少弐貞頼」の版間の差分

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父の後を継いで当主となった。鎌倉以来の北九州の名門としての誇りから[[九州探題]]である[[渋川満頼]]の命にも従わず、かえって[[菊池氏]]などと同盟して反抗する姿勢を見せたので、[[1397年]]に[[征夷大将軍|将軍]]・[[足利義満]]の命を受けた[[大内義弘]]や[[大友親世]]らに攻められて一時、窮地に追い込まれた。しかし[[応永の乱]]で[[大内氏]]が一時衰退したのを機に勢力を回復し、[[豊前国|豊前]][[守護]]職を大内氏から奪い取っている。[[1404年]]には九州探題を圧倒するまでに勢力を回復させたが、その年に病死し、後を子の[[少弐満貞]]が継いだ。
 
{{先代次代|[[少弐氏|少弐氏歴代当主]]| ?~1404 |[[少弐頼澄]]|[[少弐満貞]]}}
 
[[Category:少弐氏|さたより]]