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{{Otheruses|男性の髪型である
{{出典の明記|date=2013年6月|ソートキー=髪}}
[[File:Souhatsu.jpg|thumb|150px|総髪(月代の無い髪型)]]
'''総髪'''(そうはつ)は、[[男性]]の[[髪型]]である。[[さかやき|月代(さかやき)]]を剃らずに、前髪を後ろに撫で付けて、髪を後ろで引き結ぶか[[髷]]を作った形を言う。髪を結ぶ位置が高いものは形が[[クワイ|慈姑]](クワイ)に似ることから「慈姑頭」とも呼ばれた。▼
▲[[さかやき|月代(さかやき)]]を剃らずに、前髪を後ろに撫で付けて、髪を後ろで引き結ぶか[[髷]]を作った形を言う。髪を結ぶ位置が高いものは形が[[クワイ|慈姑]](クワイ)に似ることから「慈姑頭」とも呼ばれた。
[[室町時代]]までは男性の一般的な髪型であった。[[江戸時代]]前期からは男性の[[神官]]や[[儒学者]]、[[医者]]の髪型として結われ
現
== 歴史 ==
時代が下るにつれて、儒者に限らず「思想家」が一般的にこれを結うようにもなり、[[幕末]]の頃になると[[尊皇攘夷|勤王派]]の[[志士]]の間で大流行したほか、[[佐幕派]]の面々の間でもこれを結う者が少なくなかった。江戸時代初期の軍学者・[[由井正雪]]、幕末の勤王派の志士・[[坂本龍馬]]、佐幕派の[[新撰組]]局長・[[近藤勇]]、[[徳川家茂]]、[[徳川慶喜]]などの画像や写真では、月代を剃らず、
なお[[時代劇]]に出てくる[[医者]]は大抵この総髪を結っているが、御殿医などの官職に就いている医師の場合髪を剃り上げていた。これに対し町医者などは総髪が一般であった。これは戦国時代の医師が戦場に動員される際には非戦闘員([[金創医]])であることを敵方に示すために髪を剃り上げていたことに由来するという説もある{{要出典|date=2011年4月}}。
[[明治時代]]になると、西洋化政策の一環として明治4年(1871年)に[[断髪令]]が出され、総髪を含む髷は衰退した。当時、「総髪頭(そうはつあたま)をたたいて見れば王政復古の音がする。」という歌が流行した。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{DEFAULTSORT:そうはつ}}
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