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{{参照方法|date=2016年3月28日 (月) 20:58 (UTC)}}
『'''無門関'''』(むもんかん、{{Lang-zh-tw-short|無門關}}、{{Lang-zh-short|无门关}}、{{lang-en-short|The Gateless Barrier}}、{{lang-en-short|The Gateless Gate}})は、[[中国]][[南宋]]時代の[[無門慧開]](1183年-1260年)<ref name="mumon">[https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E9%96%80%E6%85%A7%E9%96%8B-140790 無門慧開] - コトバンク(デジタル大辞泉、日本大百科全書)。</ref>によって編まれた[[仏教]]書、または[[禅宗]]で[[禅]]書・[[公案]]集と呼ばれる著作<ref name="kan">[https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E9%96%80%E9%96%A2-140791 無門関] - コトバンク(デジタル大辞泉、大辞林第三版、日本大百科全書)。</ref>。禅宗の[[公案]]、古則([[仏教]]の[[故事]]で禅修行の道しるべとなるもの{{sfn|山川|2015|p=5}})を紹介するもので、本則(本文のこと{{sfn|山川|2015|p=5}})に、無門の[[禅]]的な批評鑑賞である[[評唱]](ひょうしょう)がつけられ、さらに俯瞰した[[頌古|頌]](じゅ)と呼ばれる宗旨を込めた漢詩が付され、これらをもって1節(禅宗では1則)とし<ref name="kan"/>{{sfn|岩波仏教辞典|p =789}}、48の節(則)と序文、後序とからなる1巻本である。
 
== 概要 ==
中国では、重要視されなかったようであり{{sfn|岩波仏教辞典|p =789}}、伝本が絶たれたとされるが<ref name="kan"/>、日本には入宋した[[心地覚心|無本覚心]](1207年-1298年)が無門慧開に直接参じ、帰国する際(1254年)に与えられたとされる巻本などが伝わる<ref name="iwanami">『無門関』 西村恵信訳註 岩波文庫 解説(203頁-)。</ref>。江戸時代に大いにもてはやされた{{sfn|岩波仏教辞典|p =789}}。ただし、今日流布しているのは[[広園寺]]([[八王子市]])蔵版の巻本で、無門の序文の前に習庵<ref>習庵陳塤(1197年-1241年)[https://baike.baidu.com/item/%E9%99%88%E5%9F%99/7768520 陈埙陳塤] - 百度百科。</ref>序と表文<ref group="註">皇帝陛下の聖節(誕生日)を祝し、萬歳萬歳萬萬歳の語を添えて謹上する旨の表文。</ref>を、巻終(後序)の後に禅箴<ref group="註">文責は不明。[[黙照禅]]は邪禅とするなどの箴文。</ref>、黄龍三關<ref group="註">無量宗壽、別名:无量寿(生没年不詳)によるとされる偈文。[https://baike.baidu.com/item/%E5%AE%97%E5%AF%BF/7090490 宗寿] - 百度百科。</ref>のほか、孟珙<ref>无庵居士孟珙(1195年-1246年)[https://baike.baidu.com/item/%E5%AD%9F%E7%8F%99 孟珙] -百度百科。</ref>という[[居士]]が[[跋]]文(孟珙跋)を付し、さらに安晩<ref>安晩(鄭清之 1176年-1251年) [https://baike.baidu.com/item/%E9%83%91%E6%B8%85%E4%B9%8B 清之] - 百度百科。</ref>という流浪し僧寺に寓居したことのある南宋の上級官吏による跋文(安晩跋)と1則を加えて49則としたものである<ref name="iwanami"/>。[[無門慧開]]の弟子の'''宗紹'''(そうしょう)が編纂した{{sfn|山本|1960|p=16}}。
 
[[西村恵信]]は、無門がなぜ48則としたのかは分からないとしている<ref name="iwanami"/>。第1則の「[[狗子仏性|趙州狗子]](狗子仏性、趙州無字)」は、無門が直参した月林師観から無門自体が与えられた「犬に仏性はあるか」という公案で、無門は6年を経ても見当がつかないでいたが、月林の法座に列していたとき、斎鼓の音を聞いて廓然したとされる逸話があり、禅宗で最も知られた公案のひとつである<ref name="iwanami"/>。
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::痴人面前 不可説夢 胡人無鬚 惺惺添懵(痴人に面前して夢を説くべからず。胡人に鬚無く惺惺がぼんやりと添う)の頌曰で結んでいる。
::※痴人=胡人だが禅宗一般で胡人は[[達磨]]を指し、ここでは[[釈迦]]とする説もある<ref>『無門関』 西村恵信訳註 岩波文庫 本文脚注。</ref>。公案では己れの事も考慮する。
;5{{0}} 香上樹
;6{{0}} 世尊拈花
;7{{0}} 趙州洗缽
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;9{{0}} 大通智勝
<!--::神仙何必更封侯(神仙、何れの侯にぞ必ず更に封ぜらる)の頌曰で結んでいる。<読み下しに著しい異同があるためコメントアウト-->
;10 清孤貧
;16 鐘聲七條
::會則事同一家 不會萬別千差 不會事同一家 會則萬別千差 の頌曰で結んでいる。
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::攔腮劈面拳 直下會便會(下骸を遮り割砕して挙し 直下に会すこと便会なり)の頌曰で結んでいる。
::※攔=遮る、阻むの意。 腮=顎(あご)の意。 劈=さく、ひきさくの意。便會=~できる、するなどの意。
;37 庭前
::言無展事 語不投機 承言者喪 句者迷(言展じる事なく 語機に投ぜず。言承る者なく 句滞る者迷う)の頌曰で結んでいる。
::※[[趙州従諗|趙州]]庭前樹の問答両者の言辞を絡めて評したもの(無門は評釈で「前無釋迦後無彌勒」と術している)。
;40 趯倒浄瓶
::脚尖趯出佛如麻(つま先おどって麻ほぐ如く仏を出だす)の頌曰で結んでいる。
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*『無門関を読む』([[秋月龍珉]]、[[講談社学術文庫]]、2002年)
*{{Cite book|和書|author = [[山本玄峰]]|year = 1960|title = 無門関提唱|publisher=[[大法輪閣]]|ref = {{SfnRef|山本|1960}} }}
*{{Cite book |和書 |author = 中村元 ほか編集 |year =1989 1989|title = 岩波仏教辞典 |publisher=[[岩波書店]] |isbn = 4-00-080072-8 |ref = {{SfnRef|岩波仏教辞典|1989}} }}第二版 2002年
*{{Cite book|和書|author = [[山川宗玄]]|year = 2015|title = 無門関提唱|publisher=[[春秋社]]|isbn = 978-4-393-14283-7|ref = {{SfnRef|山川|2015}} }}
 
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{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:むもんかん}}
[[categoryCategory:語録]]
[[categoryCategory:禅籍]]
[[Category:公案]]
[[Category:13世紀の書籍]]