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== 勝山合戦とその後 ==
[[永正]]5年
この勝山合戦は、20年間に及ぶ武田宗家の内紛を事実上終結させる戦いとなった{{Sfn|柴辻|2007|p=52}}。この後も甲斐では武田宗家とそれに反抗する庶家、国人領主との間で内紛は絶えず発生し、それに付け込んだ外部勢力の侵略も受けるが{{Sfn|柴辻|2007|p=53}}、宗家の内紛に関しては[[武田信虎]]・[[武田信玄|晴信]]間で信虎追放が行なわれるまでは発生していない。その理由として勝山合戦で反信虎勢力が担ぎあげるべき旗頭が悉く戦死し、大義名分が反対勢力に消え失せたことが挙げられる{{Sfn|柴辻|2007|p=52}}。また信昌・信縄の共同統治で信恵ら反対派の勢力はかなり衰退していた事も一因として挙げられ、この合戦は武田宗家による甲斐統一の第一歩となった{{Sfn|柴辻|2007|p=52}}。
== 脚注 ==
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