「イベントコンパニオン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
m 外部リンクの修正 (www.sankei.com) (Botによる編集)
10行目:
 
== 歴史 ==
[[1964年東京オリンピック]]の際、日本を訪れるVIPのアテンド(案内・接待や通訳など)や、メダルセレモニーの際のホステス役を務める女性スタッフが「'''[[1964年東京オリンピックのコンパニオン|コンパニオン]]'''」と名付けられた<ref name="hoshino"/><ref name="sankei-150505">{{cite web|url=https://www.sankei.com/columnarticle/news20150505-3RP2D26E7JONZJJLHXCKZA5OH4/150505/clm1505050009-n1.html|title=64年東京のいまを歩く(5)総理の娘は「疲労困パニオン」 良家の子女に訪れた疾風怒濤の日々|publisher=産経新聞|date=2015-5-5|accessdate=2021-3-19}}</ref>。これが、日本で「コンパニオン」という語が使われるようになった契機とされる<ref name="hoshino"/>。「貴婦人の接待役」を意味する companion ([[レディズ・コンパニオン]])から採られた名称で<ref name="hoshino"/>、「公募」を経て語学堪能でマナーに問題のない女性が採用され(結果としていわゆる「良家の子女」が多く採用され、選考の偏りも批判された<ref name="sankei-150505"/>)、破格の俸給で職務にあたった<ref name="hoshino"/><ref name="sankei-150505"/>(なお、オリンピック出場経験者を含む陸上競技関係者にも声がかけられてコンパニオンに就いたが、手当も含めボランティア的なものであったという<ref name="hoshino"/>)。
 
'''イベントコンパニオン'''という仕事が一般に認知されたのは、[[高度経済成長期]]の末期である[[1970年]]に行われた[[日本万国博覧会|大阪万博]]だと言われている。この当時は現在と違い大規模なイベントや展示会も少ない上、初の[[万国博覧会]]ということで語学力や接客マナーなども求められたため、[[大学]]や[[短期大学|短大]]卒の良家の子女が多く従事していると伝えられた。