「全インド・ムスリム連盟」の版間の差分

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=== 党勢の衰退から改変へ ===
パキスタンが独立すると連盟は[[一党独裁]]体制を敷き、反対する者を次々と[[粛清]]していったため、国民の支持は急速に後退していった。さらに連盟の有力政治家の多くが{{仮リンク|ムハージル|en|Muhajir people}}(分離独立直前にインドから移民してきた人々)だったことや、強力なリーダーシップのあったジンナーが[[1948年]]に病死したこと、[[1951年]]にその後継者の[[:w:Liaquat Ali Khan|リヤーカト・アリー・カーン]]初代首相が暗殺されたことなど多くの不安定要素が重なり、党勢は衰退していった。政情不安の最中、[[1958年]]に軍による[[クーデター]]が発生し、党はその機能を停止し、4年後の[[1962年]]、合法選挙のもとパキスタン・ムスリム連盟として政界に復帰した。
 
{{Main2|これ以後の党の歴史|パキスタン・ムスリム連盟}}