「カルロ・エマヌエーレ2世」の版間の差分
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サヴォイア公[[ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]と[[クリスティーヌ・ド・フランス|マリーア・クリスティーナ]](フランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の娘)の子として、[[トリノ]]で生まれた。公位を継承していた兄[[フランチェスコ・ジャチント・ディ・サヴォイア|フランチェスコ・ジャチント]]が6歳で夭逝したため、母が引き続き摂政を務める下、4歳で公位を継承した。
カルロ・エマヌエーレは[[1655年]]の大虐殺で頂点に達した[[
== 家族 ==
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