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S.Tanaka (会話 | 投稿記録)
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古代において一年中緑を保つ植物は長寿や繁栄のシンボルとされ、実際に庭園に植栽されることも多かった。また、温帯地域でもいわゆる[[照葉樹林]]帯や硬葉樹林帯には葉の美しい植物が多く、古くから鑑賞の対象にされた。後者に位置する[[古代ギリシャ]]では[[アカンサス]]などの葉の美しさを愛でて栽培した。また前者に位置する日本でも[[サカキ]]などが宗教的に重要視され、江戸時代には、カエデのような樹木からオモトやカンアオイ、マンリョウなど小木、草本に至るまで葉の美しい植物を観賞することが盛んになり、多くの変異が集められた。[[1799年]]にはすでにオモトの[[番付]]が出版されている。珍奇な品種には高価で取引されるものもあった。[[1827年]]には世界で初めての、葉変わり植物の専門書である「[[草木奇品家雅見]](そうもくきひんかがみ)」が、次いで[[1829年]]には[[草木錦葉集]]が出版されている。もとより一般的な家庭でも軒に[[シノブ]]を吊るしたりして緑の葉を楽しむなど、観葉文化は日本の都市に日常的に存在していたし、ハボタンはヨーロッパの[[キャベツ]]が江戸時代の日本で観葉用に改良されたものである。
 
一方ヨーロッパでは[[大航海時代]]以降、世界を侵略、各地から植物も集められた。その中には熱帯産の植物も多く、葉の美しいものも[[温室]]の発達と共に栽培されるようになる。[[十九19世紀]]には[[産業革命]]の進展により[[ガラス]]や[[鉄]]材の大量生産が可能になることで[[温室]]が普及しはじめ、一方でプラント・ハンター達により厖大な種類の植物がもたらされ、熱帯産植物や[[高山植物]]の栽培が広まった。また一般の[[建築]]もガラスの多用により明るくなり、室内に長期間植物を置ける環境が整った。特に[[ヴィクトリア朝]]の[[ロンドン]]では[[スモッグ]]のため[[都市]][[環境]]が悪化し、室内に植物を置いて栽培する機運が高まった。この時は[[シダ]]が特に愛好された。また[[幕末]]から[[明治維新]]にかけての頃の日本から、いくつかの葉もの園芸植物がもたらされ、観葉文化に拍車をかけたものと思われる。十九世紀の[[フランス]]では、[[カラジウム]]や[[ゼラニウム]]の葉の変化に注目して育種が始まった。これが西欧園芸における葉もの育種の始まりであると思われる。以後、主として室内において熱帯、亜熱帯産の葉の美しい植物を栽培することが盛んになり、こんにちに至っている。
 
== 代表的な観葉植物 ==