「ルートヴィヒ4世 (ヘッセン大公)」の版間の差分

編集の要約なし
ルートヴィヒ4世は[[1878年]]に大公妃アリスに先立たれ、[[1884年]][[4月30日]]に Alexandrina Hutten-Czapska (1854年 - 1941年)と[[貴賎結婚]]した。ルートヴィヒ4世は彼女に対して Romrod 伯爵夫人の称号を与えた。しかしこの再婚は大きな問題になり、結局1年も経たないうちに彼女とは離婚することになった。
 
[[1892年]][[3月13日]]、ルートヴィヒ4世はダルムシュタットで死去した。大公妃アリスとの間には[[ヴィクトリア・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット|ヴィクトリア]](1863年 - 1950年、[[ミルフォード=ヘイヴン侯ルイス・マウントバッテン]]妃)、[[エリザヴェータ・フョードロヴナ|エリーザベト]](ロシアの[[セルゲイ大公]]妃)、[[イレーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット|イレーネ]](1866年 - 1953年、[[プロイセン王国|プロイセン]]王子[[ハインリヒ・フォン・プロイセン (1862-1929)|ハインリヒ]]妃)、[[エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン大公)|エルンスト・ルートヴィヒ]]、フリードリヒ・ヴィルヘルム(1870年 - 1873年)、[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アリックス]]([[ロシア帝国|ロシア]]皇帝[[ニコライ2世]]妃)、マリー・ヴィクトリア(1874年 - 1878年)の二男五女が生まれており、長男のエルンスト・ルートヴィヒが大公位を嗣いだ。
 
{{先代次代|[[ヘッセン君主一覧|ヘッセン大公]]|[[1877年|1877]] - [[1892年|1892]]|[[ルートヴィヒ3世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ3世]]|[[エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン大公)|エルンスト・ルートヴィヒ]]}}
匿名利用者