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統和8年([[990年]])、再び引退を願い出た。請願はしりぞけられたが、入朝のときに拝礼を免除される特権を受け、睿智太后が閤門使の李従訓を派遣して労をねぎらわせた。南京析津府に住むよう命じられ、鄭国公に封じられた。晋国公主が南京析津府に仏寺を建てると、聖宗が額を賜ろうとしたが、室昉は以前の勅命に違反するとして諫める上奏をおこない、聞き入れられた。統和9年([[991年]])、編纂した『実録』20巻を献上すると、聖宗の賞賛を受けて、[[中書令]]の位を加えられた。
 
後任に韓徳譲を推薦してまたも引退を願い出たが、やはり聞き入れられなかった。聖宗は室昉の老体をいたわって、輦に乗って入朝することを許した。統和12年([[994年]])、病が重くなると、聖宗が翰林学士の張幹を室昉の邸に派遣して見舞わせ、[[中京大定府|中京]]留守に任じ、尚父の位を加えた。75歳で死去した。[[尚書令]]の位を追贈された。
 
== 伝記資料 ==