「クリスチャン・ビルケランド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ノルウェーの紙幣について、死亡したホテルについて加筆
m リンクコイルガン
2行目:
'''クリスチャン・ビルケランド'''(Kristian Birkeland、ビルケラン、バークランドとも表記される、[[1867年]][[12月13日]] - [[1917年]][[6月15日]])は[[ノルウェー]]の物理学者である。[[オーロラ]]が太陽からの[[荷電粒子]]の大気との反応であることを示し、実験室でオーロラを発生させた。発明家としてもさまざまな分野の特許を得た。1917年、日本滞在中に、[[東京]][[上野精養軒]]ホテルで睡眠薬の量を誤って摂取し死去した。この事件を[[寺田寅彦]]は随筆『B教授の死』に書いた。世界的な名声を得て、7度ノーベル賞の候補となった。[[1994年]]発行のノルウェーの紙幣(200[[ノルウェー・クローネ]]札)に肖像が採用され、ノルウェーでは有名な科学者である。
 
[[オスロ]](当時Christiania)に生まれた。18歳で最初の科学論文を書くなどの才能を示した。30歳で[[オスロ大学]]の教授となったが、その興味は学問にとどまらなかった。1905年サミュエル・アイデと後に大企業となる[[ノルクスハイドロ社]]の設立メンバーとなった。実用化されなかった発明の例として1900年に電磁力で砲弾を飛ばす電磁砲([[コイルガン]])の[[特許]]をえて、デモンストレーションを行ったが結果は実らなかった。放電による空中窒素の固定の実験もおこなった。
 
オーロラ研究の分野では1899年から1900年にノルウェーの高緯度地域の探検隊を組織し、[[地磁気]]の測定結果を得た。真空中の[[陰極線]]と[[磁場]]の実験で、オーロラを実験室で再現した。1913年に宇宙空間が高速の[[電子]]や[[イオン]]で満ちていることを予測した。