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==報酬==
基本的には主人と番頭を筆頭とした徒弟制度であるが、手代に昇進すると給金が支払われ[[年季奉公]]の性格があった。手代までは住み込みであるが番頭より上は自宅を構え家族をもつこともあった。丁稚には[[給与]]は無く、[[衣食住]]が保障されたのみであった。[[お盆]]・[[年末|暮れ]]の年2回、小遣いや[[藪入り]]の際の実家への手土産、新しい[[衣服]](お仕着せ)などが支給されることがあった<ref>この盆暮れの小遣い銭の支給は現代の日本の給与体系に見られる[[賞与|ボーナス]]の源流とも言われる。</ref>。店主としては商売の教育を施して飯を食わせるのであるから無給は当然であり、丁稚となる者にとっても商売の経験と将来的な独立への布石、また食い詰めた貧家からの丁稚であれば少なくとも飯が食えるというメリットはあった。この報酬体系から丁稚は、しばしば'''丁稚奉公'''(江戸言葉では小僧奉公)と表される。
 
奉公人の生涯は丁稚からはじまり番頭になるまで一つ商店ひとり主人の下で行われると考えがちであるが、奉公換えは頻繁に行われ、とくに優秀な手代は大店へ移ることで給金や賞金(現代でいうボーナス)が増えることからしばしば行われたようである。近江商人の場合は長年務めた奉公人よりも中途採用の者が上の階職につくこともあり、能力主義が特徴であった。