「御前落居記録」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
More used with only one reference definition: 3 new references and 5 new reference calls.
編集の要約なし
6行目:
 
=== 『御前落居記録』の役割 ===
『御前落居記録』には、訴訟案件の概要、訴訟当事者の主張、義教による裁許、そして下命手続きが書かれており、記録の途中までは義教の袖判(ここでは記録の右に据えられた[[花押]])がある<ref>設楽薫「将軍足利義教の「御前沙汰」体制と管領」『年報中世史研究』18号、1993年p. 145</ref><ref name="名前なし-rKTa-2">[[桑山浩然]]「御前落居記録」 『[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]] 』</ref>。各訴訟の記録者は、日下(ここでは記録の最後にある日付の下)に署名した、その訴訟を担当していた室町幕府[[奉行衆|奉行人]]であった<ref>設楽(1993)p. 145</ref><ref name="名前なし-rKTa-2"/>。室町幕府の奉行人は、法曹官僚であり裁判の実務面を担っていた<ref>桜井(2009)p. 133</ref>。特に義教執政期の前半は、義教と[[管領]]が連携して訴訟審理を進めていたため、訴訟の担当奉行人は訴訟の進行とともに、管領と義教のもとを行き来し訴訟案件を披露、披露許(義教あるいは管領)から訴訟に関する指示を受けていた<ref>設楽(1993)pp.149-150</ref>。義教は『御前落居記録』を通じて、訴訟の進行に深く関与した奉行人や管領の行動を確認しており、個々の案件に対する承認として記録に花押を据えていた<ref>設楽(1993)p. 153</ref>。
 
『御前落居記録』に見える、義教による裁許結果の傾向としては、訴人(原告)の勝訴率の高さ、寺社領を保護していたことなどが指摘されている<ref>桜井(2009)p. 141</ref><ref>榎原(2006)p. 231</ref>。