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Siyajkak (会話 | 投稿記録)
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地域的なバランスもあるのでラーマ5世もやぶさかではないですが、[[アンコール王朝]]のスールヤヴァルマン、ジャヤヴァルマン、[[マジャパヒト王国]]のハヤム・ウルクがどうなるかと考えてしまいます。あとベトナムの君主にも優れた政治家はいたと思うし、このあたりは慎重を期すべきだと思われます。
インカ皇帝パチャクチを加えるという意見がありますが、それならかって[[メソアメリカ文明]]や[[アンデス文明]]の研究者のはしくれだった身としては、[[テスココ]]王[[ネサワルコヨトル]]を加えないわけにはいきません。それからパチャクチは業績から考えても軍事指揮官のイメージがどうしても強いです。[[利用者:Siyajkak|Siyajkak]] 2006年11月27日 (月) 10:09 (UTC)
 
:Siyajkak様初めまして。のりまきと申します。確かに[[パチャクテク]]よりも[[ネサワルコヨトル]]とその息子[[ネサワルピリ]]の方が名君という名に相応しい君主であったと思います。ただ、あまりこの場で知名度を重要視しすぎるつもりはないのですが、それこそ[[ネサワルコヨトル]]や[[ネサワルピリ]]って誰?と言われてしまいそうなので[[パチャクテク]]を推薦しました。それでも知らないと言われてしまいましたが……それにしても[[アドワの戦い]]でイタリアを破り、アフリカにあって植民地化を食い止めた[[メネリク2世]]についてもやはり知名度が問題になるのでしょうか?業績的に真に名君に相応しいかどうかは疑問を持たれても良いと思いますが。[[利用者:のりまき|のりまき]] 2006年11月30日 (木) 10:36 (UTC)
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