「会衆派教会」の版間の差分

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会衆派教会の歴史的起源は[[イングランド王国|イングランド]]([[イギリス]])の[[宗教改革]]にある。
 
16世紀初頭、ドイツで[[マルティン・ルター]]による宗教改革が行われ、その影響を受けてイングランドでも宗教改革が起こった。なかでも、[[イングランド国教会]][[司祭]]{{仮リンク|[[ロバート・ブラウン (宗教家)|en|Robert Browne (Brownist)|label=ロバート・ブラウン}}]]らによる分離派改革運動は、後の会衆派教会へとつながる流れとなる。ブラウンらは[[エリザベス1世]]治下の英国国教会を宗教改革を徹底していないとして批判し、真の教会は自覚的に悔い改めて[[キリスト教徒|キリスト者]]の生活をなす人により構成されること、また教会は王権ではなく教会自身の手のみによって改革されなければならず、国家から独立していなければならないことを主張した([[イングランド国教会の分離派|分離派]])。分離派は国家に弾圧されて抵抗し、一部の人々は信仰の自由を求めて[[1620年]]にアメリカ大陸に渡った。彼らが[[ピルグリム・ファーザーズ]]と呼ばれる人々である。
 
また、イングランドに残った分離派は[[独立派 (宗教)|独立派]]と呼ばれ、[[1642年]]から[[1649年]]の[[清教徒革命]]([[イングランド内戦]])で、[[オリバー・クロムウェル]]を指導者として中心的な役割を果たすことになった。なお、イングランドにおける宗教改革期に[[ピューリタン]]と呼ばれたのは、分離派(後の独立派、現在の会衆派)、[[長老派教会|長老派]]、[[バプテスト教会|バプテスト]]、[[クエーカー]]などの人々である。