「WD シュレッパー」の版間の差分

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シャーシの上に据え付けられた防盾付の主砲は、全周旋回式であった。自衛用火器として、主砲の左側に[[MG08重機関銃|MG08 7.92 mm重機関銃]]も搭載された。
 
== WD牽引車を基にした装輪装軌併用式戦車(コロホウセンカ) ==
[[ファイル:Mátyásföld, Újszász utca 41-43. Magyar Királyi Honvéd gépkocsiszertár, előtérben Hanomag Z50 típusú lánctalpas traktor, mellette Hofherr-Schrantz-Clayton-Shuttleworth KV-40 típusú traktor. Fortepan 72453.jpg|thumb|right|303px|WD 50 牽引車]]
7.7 cm WD シュレッパーの基体である「WD 50」牽引車は、1920年から1931年までの期間に渡り製造され、好評を博した。ソ連でも「Kommunar(クモナール)」の名称で生産された。
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1920年代は、戦車の機動性向上の試みの一つとして、装輪装軌併用式戦車(コンバーチブルドライブ車)の開発が、欧米各国で流行した時代でもあった。[[ヴェルサイユ条約]]により、戦車の開発を禁じられたドイツでは、多くの戦車技術者が職に就けなくなり、他国へと渡った。[[ヨーゼフ・フォルマー]]もその一人であった。
 
戦車の機動性向上に関心のあった彼は、戦後、[[チェコスロバキア]]へと渡り、1924年にハノマーク社製「WD 50」牽引車を基に、「KH-50 装輪装軌併用式戦車」を開発した。チェコスロバキアは、「WD 50」のライセンス生産を、1923年から開始していた。これら一連の装輪装軌併用式戦車を、チェコスロバキア語では「コロホウセンカ」と呼ぶ。「コロ」は車輪、「ホウセンカ」は履帯を意味する
 
「WD 50」のエンジンを後方に、操縦席を前方に、移設し、装輪走行に移行するには、木製のスロープ上に本車を乗り上げて、地面から浮かせた後、シャーシの両側面に、片面2つずつ、計4つの車輪を手で取り付ける方式であった。