「ルイ8世 (フランス王)」の版間の差分

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フィリップ2世と最初の妻[[イザベル・ド・エノー]]との間に長子として生まれる。イザベルは[[西フランク王国|西フランク]]王家だった[[カロリング朝|カロリング家]]の血を引いており、[[カペー家]]とカロリング家の両方の血統を受け継ぐルイ8世が誕生することにより、よりフランス王の正当性が高まったと考えられた。
 
[[1214年]]には、フランスの挟撃を狙いギエンヌから侵攻した[[イングランド君主一覧王国|イングランド]][[イングランド君主一覧|王]][[ジョン (イングランド王)|ジョン]]をポワチエで撃退して南方の憂いを軽減し、北方における[[ブーヴィーヌの戦い]]の勝利に貢献した。[[1216年]]にはジョンに不満を持つイングランド諸侯と連携し、イングランドに侵攻する([[第一次バロン戦争]])。一時は[[ロンドン]]を占領し戴冠目前だったが、ジョンが急死した後、跡を継いだ[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]が[[マグナカルタ]]を承認し諸侯と和解したため、イングランドからの撤退を余儀なくされた。
 
[[1217年]]にイングランドから戻ると、南仏諸侯の反撃に苦戦する[[アルビジョア十字軍]]を支援した。
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== アルビジョア十字軍への参加と崩御 ==
[[Image:Louis VIII le Lion (Jean-Fouquet).jpg|right|thumb|ルイ8世の崩御を描いた15世紀の絵画。左側に[[アルビジョア十字軍]]における[[アヴィニョン]]攻略戦、右側に[[モンパンシエ]]城にて[[1226年]][[11月8日]]に崩御したルイ8世、その右下に[[ルイ9世]]の即位の様子が描かれている([[ジャン・フーケ]]画、フランス大年代記(1455年 - 1460年))。]]
[[1224年]]にアルビジョア十字軍の指導者だった{{仮リンク|アモーリー6世・モンフォール|fr|Amaury VI de Montfort}}から南仏([[ラングドック]])の支配権を譲り受けると、[[1225年]]に[[トゥールーズ]][[レーモン7世 (トゥールーズ伯)|レーモン7世]]を再び[[破門]]に追い込み、1226年に新しい十字軍を率いて[[ラングドック]]から[[オーヴェルニュ]]、さらには当時[[神聖ローマ帝国]]領だった[[プロヴァンス]]の征服に乗り出した。
 
戦い疲れた南仏の諸都市はほとんど抵抗せずに降伏し、[[アヴィニョン]]で抵抗にあったが、これを3ヶ月で制圧し、南仏への王権伸張に成功した。しかし、11月にパリへの帰路、オーヴェルニュ、[[モンパンシエ]]城において崩じた。