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== 経歴 ==
李淵と劉婕妤のあいだの子として生まれた。[[武徳]]6年([[623年]])、漢王に封じられた。武徳8年([[625年]])、陳王に改封された。[[貞観 (唐)|貞観]]9年([[635年]])、[[趙州]][[刺史]]として出向した。貞観10年([[636年]])、道王に改封され、[[豫州]]刺史に任じられた。貞観23年([[649年]])、実封千戸を受けた。[[永徽]]4年([[653年]])、[[滑州]]刺史となり、その治績が[[高宗 (唐)|高宗]]に上聞されて、報償を賜った。のちに[[徐州]]・[[沁州]]・[[衛州]]の刺史を歴任した。母に孝事して、その喪にあたっては、母の墳墓に自分も入れるよう願い出たが、高宗は聞き入れなかった。

麟徳元年(664年)に世を去ると、[[司徒]]・[[益州]][[都督]]の位を追贈され、献陵に陪葬された。
 
子が9人いたとされ、臨淮王李誘と李詢の名のみ伝わる。