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{{出典の明記|date=2018年3月}}
'''会衆派教会'''(かいしゅうはきょうかい/{{lang-en-short|Congregational Church}})は、[[キリスト教]]の[[プロテスタント]]の一教派で、他に会衆派、組合派、組合教会とも。各個教会の[[教会政治]]において、[[会衆制]]とよばれる教会員([[会衆]])の[[直接民主制]]に近い制度を採ることが特徴で、各個教会の[[独立]][[自治]]を極めて重視する。
 
[[File:Protestantbranches ja.svg|thumb|right|540px|[[プロテスタント]]諸教派([[聖公会]]、[[アナバプテスト]]を含む)の系統概略]]
 
== 概要 ==
会衆派(Congregational)の語源は、[[ラテン語]]の「congregationes(共に集まれるもの)」にある。この言葉には、[[イエス・キリスト]]の名において集まる[[群れ]]の中には、[[信仰]]において生きたイエス・キリストがともにいて、群れに集う一人一人の[[思想]][[行動]]を導き、それぞれの群れ=各個教会を政治的に独立させるという意味がある。それゆえに、会衆派教会の特色は、イエス・キリストへの[[信仰]]に生きる会衆一同による会衆制と、各個教会こそが[[教会 (キリスト教)|教会]]の基本的・本質的要素を担っているという確信による各個教会の独立自治とに体現される。
 
各個教会は、イエス・キリストへの信仰において、それぞれの教会と[[契約]]関係(covenanted)で集まっている人々から成り立っている。各個教会はいかなる信仰的・世俗的[[権威]]からも[[自由]]に、ただ[[神]]の感化によって信仰と生活との規範を定め、実践するものであるとされる。それこそが初代教会が実践し、[[新約聖書]]に証されている教会制度であるという会衆派教会の自己理解によるものである。また、[[宗教改革]]の流れに属するものの、いかなる教会的・教理的信条にも拘束されない自由を尊重する。
 
== イギリスにおける成立 ==
会衆派教会の歴史的起源は[[イングランド王国|イングランド]]([[イギリス]])の[[宗教改革]]にある。
 
16世紀初頭、[[ドイツ]]で[[マルティン・ルター]]による宗教改革が行われ、その影響を受けてイングランドでも宗教改革が起こった。なかでも、[[イングランド国教会]][[司祭]][[ロバート・ブラウン (宗教家)|ロバート・ブラウン]]らによる分離派改革運動は、後の会衆派教会へとつながる流れとなる。ブラウンらは[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]治下の英国国教会を宗教改革を徹底していないとして批判し、真の教会は自覚的に悔い改めて[[キリスト教徒|キリスト者]]の生活をなす人により構成されること、また教会は王権ではなく教会自身の手のみによって改革されなければならず、国家から独立していなければならないことを主張した([[イングランド国教会の分離派|分離派]])。分離派は国家に弾圧されて抵抗し、一部の人々は信仰の自由を求めて[[1620年]]にアメリカ大陸に渡った。彼らが[[ピルグリム・ファーザーズ]]と呼ばれる人々である。
 
また、イングランドに残った分離派は[[独立派 (宗教)|独立派]]と呼ばれ、[[1642年]]から[[1649年]]の[[清教徒革命]]([[イングランド内戦]])で、[[オリバー・クロムウェル]]を指導者として中心的な役割を果たすことになった。なお、イングランドにおける宗教改革期に[[ピューリタン]]と呼ばれたのは、分離派(後の独立派、現在の会衆派)、[[長老派教会|長老派]]、[[バプテスト教会|バプテスト]]、[[クエーカー]]などの人々である。
 
== オランダにおける展開 ==
[[ジョン・ロビンソン]](1576-1625)を指導者としたグループは[[オランダ]]に逃れ、さらに[[1620年]]、[[メイフラワー号]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に渡った。
 
== アメリカにおける展開 ==
ピルグリム・ファーザーズの人々が育てた、アメリカにおける会衆派教会は、[[ニューイングランド]]の支配的な教会となり、アメリカの政治、社会思想や制度組織に大きな影響を与えた。会衆派の人々の政治・社会生活のスタイルはピューリタン神権政治とも呼ばれ、神学教育だけでなく一般教育にも関心が深く、[[ハーバード大学]]、[[イェール大学]]、[[スミス大学]]、[[アマースト大学]]([[同志社大学|同志社]]の創立者、[[新島襄]]の学んだ大学)、[[オーバリン大学]]など多くの大学を設立した。
 
[[神学]]的には、スイスの宗教改革者であった[[カルヴァン]]の影響が強かったが、直接民主的な会衆制をとるために[[自由主義神学|リベラル]]な傾向を持ち、人道主義的な思想や運動と結びつきやすいものとなった。いち早く[[奴隷制度]]に反対し、[[南北戦争]]の後、南部に黒人のための大学を設立し、現在でも、人権問題に積極的に取り組んでいる。外国伝道にも熱心で、[[北アメリカ|北米]]最初の超教派的な外国伝道団体、[[アメリカン・ボード]]を設立している。
 
20世紀後半には、その主流派は他の教会と[[合同教会]]を作り、[[キリスト連合教会]](United Church of Christ、略称:UCC)と呼ばれている。
 
== 日本における歩み ==
[[日本]]における会衆派教会の歩みは、[[同志社]]の創立者である[[新島襄]]よる伝道活動に始まる。彼は[[幕末]][[函館市|函館]]より[[鎖国]]していた日本を脱国(密出国)し、アメリカで学んで1874年に帰国した時には[[アメリカン・ボード]]の伝道者でもあった。翌年(1875年)、新島は[[京都市|京都]]の地で[[同志社英学校]]を設立するが、並行して伝道活動も行い、京都を中心に独立自治の会衆派教会を設立していった(当時は「教会」と呼ばず「公会」と称した)。その後、神戸を基盤に活動していた[[アメリカン・ボード]]の外国人伝道師や、その他の会衆派系の伝道師によって設立された各地の教会は、ゆるやかな伝道協力組織として「[[日本基督教伝道会社]]」を設立(1878年)、のちに教派の組織として31教会が「[[日本組合基督教会]]」([[1886年]])を設立した。
 
約55年間日本のプロテスタントの三大教派であった、日本組合基督教会の諸教会は、1941年の政府の要請によるプロテスタント諸教派の合同により[[日本基督教団]](現在は公式に[[日本キリスト教団]]とも通称する)に合流し、現在に至っている。
 
== 会衆派教会のいま ==
会衆派教会は、各個教会の独立自治が強く、もともと教派的な団結はあまり強くない。各国にあった教派としての組織も、20世紀に入ってからの[[プロテスタント]]諸教派との合同によって独自のものは少なくなり、各国の[[合同教会]]の中で、会衆派の流れをくむ各個教会間の伝道協力のネットワークとして残っているのが現状である(たとえば、日本における「全国同信伝道会」など)。しかし、各国の[[合同教会]]の中で社会的な活動に熱心なのは、会衆派教会の流れを汲む[[教会]]であり、その点で会衆派教会の特徴を今でも際立たせている。
 
== 外部リンク ==