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== 歴史 ==
検断権は、もともと[[荘園 (日本)|荘園]]・[[公領]]領主が保有していたと考えられている。[[鎌倉時代|鎌倉期]]には、[[鎌倉幕府|幕府]]が中央政府からの委任に基づいて、検断権行使の中枢を担っていたが、あくまで建前上の権限は領主にあった。ところが、[[室町時代|室町期]]になると、自立した[[百姓]]らによる自治村落([[惣村]])の形成が進み、こうした惣村では、惣内部や時には対立する他の惣との紛争解決の検断沙汰についてすら自ら検断権を行使するようになった。これが自検断である。惣内部の事案といえども、本来ならば、領主又はその委任を受けた[[守護]]・[[地頭]]が検断権を行使するのが、前代までの慣習であったが、惣村などの自治性の高い村落は、領主の検断介入を拒否・排除し、自検断を行うようになっていった。
 
[[戦国時代 (日本)|戦国期]]になると、[[戦国大名]]の一円支配が進み、自検断は表向き次第に消滅もしくは縮小していったが、一方で自検断の存在を示す近江国菅浦の[[菅浦惣中壁書案]]が[[永禄]]年間に[[浅井氏]]の一円支配に対抗していた時期に出されていることなど、大名権力に対する抵抗手段として自検断の論理が展開されたケースもあった<ref name="murai"/>。[[江戸時代]]以降も村や町(ちょう)といった公認共同体は事実上それに近い自治権を、あたかも自検断権を放棄しているかのごとき建前に立った、政権との妥協と黙認の上に、保持し続けた。こうした自検断権の裏づけとなる軍事警察力の保証としての武器の保有も、建前上は[[刀狩]]以降放棄した形式をとり、百姓身分の者は身分表象としての[[帯刀]]を放棄することでそれを示していた。