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'''スティグ・ヴィカンデル'''('''Stig Wikander'''、[[1908年]][[8月27日]] - [[1983年]][[12月20日]])は、[[スウェーデン]]の[[イラン語]]学者。
 
== 人物経歴 ==
1908年、[[ノルテルジュ]]生まれ。[[ウプサラ大学]]でイラン学者の[[エンリコ・サムエリ・ニーベリ]]に師事<ref>当時のウプサラ大学には講師として[[ジョルジュ・デュメジル]]がいたが、このときすでに両者に面識があったかどうかは不明</ref>。1930年、1931〜1932年の2度にわたって[[フランス]]、[[パリ]]に遊学する。1932年〜1937年、[[ゲオ・ヴィデングレン]]とともに師のニーベリ自宅で開かれた研究会に参加し、ニーベリの研究に協力するかたわら、自らの研究も進めた。また研究のために[[ベルリン]]や[[コペンハーゲン]]をしばしば訪問した。1938年、博士号論文『アーリヤ人の男性結社』を提出。これは、[[オットー・ヘフラー]]の『ゲルマン人の秘密結社』に影響を受けて執筆したものである。この論文は、1939年にルンドから『アーリア人の男性結社』として出版された。
1908年[[ノルテルジュ]]生まれ。[[ウプサラ大学]]でイラン学者の[[エンリコ・サムエリ・ニーベリ]]に師事したのち、[[オットー・ヘフラー]]の『ゲルマン人の秘密結社』に影響を受けて、最も代表的な著作『アーリヤ人の男性結社』を発表する。また当時定説化していた[[フランツ・キュモン]]の[[ミトラス教]]研究を初めて全面的に論駁し(1950年)、研究動向に衝撃を与えた。ヴィカンデルはまず第一に傑出したイラン学者であるが、『[[マハーバーラタ]]』など[[インド]]・[[イラン]]の[[叙事詩]]に関するいくつかの重要な論文のために、現在[[ジョルジュ・デュメジル]]と並んで[[比較神話学]]の代表的な研究者とみなされている。また[[ミルチャ・エリアーデ]]と交流があったことも知られている。1983年、[[ウプサラ]]で死去。
 
1983年、[[ウプサラ]]で死去。
== 略歴 ==
 
*1925年、ウプサラ大学に進み、エンリコ・サムエリ・ニーベリに師事する。
==研究内容・業績==
*1930年、1931〜1932年の2度にわたって[[フランス]]、[[パリ]]に遊学する。(当時のウプサラ大学には講師としてジョルジュ・デュメジルがいたが、このときすでに両者に面識があったかどうかは不明)。
*ヴィカンデルはまず第一に傑出したイラン学者であった。
*1932年〜1937年、[[ゲオ・ヴィデングレン]]とともにニーベリの自宅で開かれた研究会に参加し、ニーベリの研究に尽力するかたわら、自らの研究を進める。また研究のために[[ベルリン]]や[[コペンハーゲン]]をしばしば訪れている。
*加えて、『[[マハーバーラタ]]』など[[インド]]・[[イラン]]の[[叙事詩]]に関するいくつかの重要な論文のために、現在[[ジョルジュ・デュメジル]]と並んで[[比較神話学]]の代表的な研究者とみなされている。[[ミルチャ・エリアーデ]]と交流があったことも知られている。
*1938年、博士号論文「アーリヤ人の男性結社」を提出。
 
*1939年、ルンドから同論文が『アーリア人の男性結社』として出版される。
===注目される業績===
*1938年、博士号論文アーリヤ人の男性結社を提出。翌年同題でルンドから出版
*1941年、イランの風神[[ワユ]]に関する著作『ワユ ―インド・イラン宗教史に関わるテキストと研究』を出版。
*1942年、論文「[[アナーヒター]]女神と[[ゾロアスター教]]の拝火儀礼」を発表。
*1946年、『小アジアとイランの火の祭官』を出版。
*1947年、デュメジルの三機能イデオロギーを取り入れた有名な論文「[[パーンダヴァ]]伝説と『マハーバーラタ』の神話構成」を発表。翌年、デュメジルはこれを高く評価し、自らの著作の中で紹介する(『ユピテル・マルス・クイリヌス』IV)。
*1950年、『ミトラスの秘儀をめぐる研究』を出版、キュモン批判を行う。これは当時定説化していた[[フランツ・キュモン]]の[[ミトラス教]]研究を初めて全面的に論駁したもので、研究動向に衝撃を与えた
 
== 参考文献 ==
*スティグ・ヴィカンデル『アーリヤの男性結社』[[前田耕作]]監修・編、[[言叢社]](1997年)
 
== 略歴脚注 ==
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