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'''ナショナル・ボード・オブ・レビュー'''('''The National Board of Review'''、'''NBR''')は、
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ナショナル・ボード・オブ・レビューは、[[映画]]教育プログラムの制作や、映画製作[[奨学金]]の給付など、映画の普及促進に関する活動を目的とする、民間人による非営利団体。また、例年、その年に公開されたアメリカ国内外の映画について、優秀な作品や優秀な[[俳優]]を顕彰する賞の授与も行う。
活動の拠点は[[ニューヨーク]]にあり、映画の誕生後13年後の1909年に創立された。これは、1908年に当時のニューヨーク市長が映画の上映を禁じることを定めたことから始まる。南北戦争の将軍でもあった市長は、この新しいメディアが市民のモラルを低下させる、と考えたのである。▼
== 歴史 ==
表現の自由の制約に反対した劇場主や配給会社は、表現の自由を推し進める市民団体と共に、アメリカの「国民のための文化」としての映画の質を維持させるため、「国立映画調査委員会(National Board Committee)」を成立させた。▼
===映画規制と自主的検閲===
活動の拠点は[[ニューヨーク]]にある。映画が誕生した13年後の[[1909年]]に創立された。
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やがてこの委員会は、米国政府からの政治的な検閲をさせないようにと、自主的な民間検閲団体として新作の検閲に関して自律的に機能し始めた。NBRは1916年から1950年代までの数千本の映画には、映画のメインタイトルの下に「ナショナル・ボード・オブ・レビューを通過した」という一文が入っている。これらの検閲機能はその後現在に至るまで別の機関MPAA(米国内の[[レイティング]]を決定する団体)に移され現在でも活動している。▼
▲この市長の動きに対して、[[表現の自由]]の制約に反対した劇場主や配給会社は、表現の自由を推し進める市民団体と共に、アメリカの「国民のための文化」としての映画の質を維持
これら検閲活動とは別に、NBRは1929年から、1年間に品質の高い英語圏ベスト10の映画とベスト1の外国語映画を選出し始めた。そのうち、ベスト1の米国映画のみの選出と授賞式が現在でも行われている。これが現在のNBR賞(NBR Award)あるいはただ単に「ナショナル・ボード・オブ・レビュー」と呼ばれる所以である。この賞が映画史上に残ったのは、『[[市民ケーン]]』(1941)がその年唯一と言っていい、年間最優秀作品賞を授与したためである(あとはニューヨーク映画批評家協会賞のみである)。▼
▲やがてこの委員会は、
また、1917年も以降名称を様々変えながらも、継続的に機関誌を発行している。現在は”Films in Review”誌となっており、映画製作や映画史と観客を取り持ち、あらゆる面で映画を育成させる役割を果たしてきた。投稿者の中には、[[アルフレッド・ヒッチコック]]、[[ハロルド・ロビンス]]、[[テネシー・ウィリアムズ]]、[[ウィリアム・サローヤン]]、[[パール・バック]]などの著名人も含まれる。▼
===映画賞の授与===
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===機関誌の発行===
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== 現在の活動 ==
非営利団体
また、年間300本以上の映画、ケーブル用映画、[[ドキュメンタリー]]、外国語映画を
現在、会議のメンバーは12名、会員は全体で150名程度である。
この賞の注目度が高いのは、長い歴史を誇る賞としての権威と共に、
==歴代受賞作・受賞者==
== 関連項目 ==▼
* [[ナショナル・ボード・オブ・レビュー (2005年)]]
* [[ナショナル・ボード・オブ・レビュー (2006年)]]
▲== 関連項目 ==
* [[アカデミー賞]]
* [[映画の賞]]
* [[キネマ旬報]]
* [[映倫管理委員会]]
== 外部リンク ==
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