「エルンスト1世 (ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公)」の版間の差分

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| 子女 = [[#子女|一覧参照]]
| 家名 = [[ヴェッティン家]][[エルネスティン家|エルンスト系]]
| 父親 = [[ザクセン=ヴァイマル]]公[[ヨハン2世 (ザクセン=ヴァイマル公)|ヨハン]]
| 母親 = [[ドロテア・マリア・フォン・アンハルト]]
| 栄典 =
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== 生涯 ==
エルンスト1世はザクセン=ヴァイマル公[[ヨハン2世 (ザクセン=ヴァイマル公)|ヨハン]]とその妃でアンハルト侯[[ヨアヒム・エルンスト (アンハルト侯)|ヨアヒム・エルンスト]]の娘である[[ドロテア・マリア・フォン・アンハルト|ドロテア・マリア]]の間の9男、実質的な6男として生まれた。1640年に兄弟達との分割相続協定に従い、[[ゴータ]]を獲得している。
 
エルンスト1世は教育や宗教政策に熱心で、彼の領内の農民達は公爵が建設した文法学校に通い、都市民や貴族よりも良い教育を授けられたと言われている。またエルンスト1世の晩年には、彼の領国の領民の中には読み書きの出来ない者は一人もいなかったとされている。エルンスト1世はまたゴータに中等学校を建設し、この学校は非常に高い評判を得て、ドイツ諸国のみならず[[スウェーデン]]、[[ロシア]]、[[ポーランド]]、[[ハンガリー]]からも留学生がやって来た。エルンスト1世は[[フリードリヒ・シラー大学イェーナ|イェーナ大学]]の発展にも尽くし、大学の経営資金を増やしたり研究に関する規制を設けたりしたが、この規制は非常に宗教色の強いものだった。信心深いエルンスト1世は教会の諸事に関しても干渉を繰り返し、「祈る人エルンスト」というあだ名を付けられている。