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[[Image:Taira Incident.JPG|thumb|250px|署内に乱入した群集]]
'''平事件'''(たいらじけん)は、[[1949年]]([[昭和]]24年)[[6月30日]]に、[[福島県]][[平_(いわき市)|平市]](現在の[[いわき市]]平)で発生した公安事件。
 
== 経過 ==
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=== 勃発 ===
1949年6月30日早朝より、共産党員や[[在日本朝鮮人連盟]]の朝鮮人を動員し、[[湯本町 (福島県)|湯本町]]や[[内郷市|内郷町]](両町とも現在のいわき市)の[[自治体警察 (旧警察法)|自治体警察]]に押しかけて、平市警察に応援を出さないことを確約させた後、午後315時30分頃に[[貨物自動車|トラック]]で平市警察署に押しかけた。
 
群集は[[インターナショナル (歌)|インターナショナル]]を歌いながら気勢を上げて署内に乱入した。午後618時頃になると[[警察署長|署長]]室だけでも80人が侵入するなど大混乱に陥った。侵入を阻止しようとする署員に対しては殴る蹴るの暴力を加え、署の窓ガラスを次々と割っていった。
 
群集の一団は[[留置場]]にも侵入し、先程[[逮捕]]され留置された者を奪還、逆に[[日本の警察官|警察官]]を留置場に閉じ込めた。群集は[[公安委員会]]の招集と署長の辞職を要求した。
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この間、署の玄関に[[赤旗]]を交差させて掲げ、「人民警察ができた」などと呼号したり、市内各所に検問所を設けて警戒に当たるなど無警察状態に陥った。
 
午後1123時頃になって、近県より[[日本の警察|警察]]の応援部隊がやってくるという情報が入ったため、ようやく解散した。
 
== 裁判 ==
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[[国家地方警察]]の応援の下、平市警察署に[[刑事警察|捜査本部]]が設けられ、231人を[[騒乱罪|騒擾罪]]の容疑で[[逮捕|検挙]]した。そのうち159人が[[起訴]]された。
 
[[1949年]][[9月1日]]、第一回公判が[[福島地方裁判所]]で開かれたが、[[松川事件]]が発生したために福島地方裁判所平支部に移された。平支部では、250人収容の大法廷を特設して対応することとなった。公判を重ねること161回、証人も266人にのぼったが、被告らは公判の途中、容共派と反共派の二派にわかれたため分離公判となった<ref>「成立するか騒擾」『日本経済新聞』昭和29年10月10日11面</ref>。
 
一審では騒擾罪が認められなかったが、1958年6月30日、二審の[[仙台高等裁判所]]で原判決を破棄、逆転有罪となり、[[1960年]]12月8日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[上告]]を[[棄却]]し、有罪が確定した。
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== 参考文献 ==
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* 『在日朝鮮人運動<small>{{smaller|(実務教養選書)</small>}}』(篠崎平治 1955年){{要ページ番号|section=1|date=2022-10}}
* 『福島県犯罪史(第4巻)』(福島県警察本部 1968年){{要ページ番号|section=1|date=2022-10}}
* 『戦後警察史』(警察庁警察史編纂委員会編 1977年){{要ページ番号|section=1|date=2022-10}}