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'''民主正義党'''('''みんしゅせいぎとう''')は、[[大韓民国]]の政党で、[[全斗煥]]政権の[[与党]]。[[1980年]]結成。略称は「'''民正党'''」。
 
党名は、「社会正義を具現する」との全斗煥の考えを反映している。この「社会正義」の際に践として、全斗煥の政権掌握直後には、多数の[[やくざ]]者や[[ホームレス]]、[[非行]]少年が強制収容所に送られた。
 
[[政策]]は[[飴と鞭]]抑圧的であった。[[夜間外出禁止令]]の解除や、[[中学校]]・[[高等学校]]の[[制服]]廃止などで、自由化ポーズを示した。しかし、夜9時からの[[韓国放送公社|KBS]]ニュースでは必ず全斗煥の動静をトップで報道させ、全斗煥に似た[[コメディアン]]の[[テレビ]]出演を禁止し、[[反体制]][[政治家]]・[[学生運動]]家は容赦なく厳罰に処した。他党にも[[政権]]担当の道は開いていたものの、[[選挙制度]]が極めて与党に有利であり、選挙結果は必ずしも民意を反映していなかった。学生運動家からは、「[[殺人]]政党」と非難された。
 
[[1980年代]]を通じた韓国の政権政党でありながらも、[[盧泰愚]]政権への移行する際に出た[[1987年]]の[[民主化宣言]]後は[[穏健]]化した。[[社会民主主義]]政党の積極的な育成にも言及したことがある
 
[[1990年]][[1月30日]]、[[統一民主党]]・[[新民主共和党]]と合同し、[[新韓国党|民主自由党]]となった。[[金泳三]]へと政権を移譲するための合同とみなされたが、実際には合同後に激しい権力闘争が繰り広げられた。結果的には金泳三が民主自由党を代表する大統領候補となり、[[金大中]]と対決した。
 
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