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'''新田 たつお'''(にった たつお、[[1953年]](昭和28年)[[10月25日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。本名・島田 好晴(しまだ よしはる)<ref name="FPD">『Fusion Product 創刊号』ふゅーじょんぷろだくと、1981年7月。PP186-187。</ref>。[[大阪府]]出身。[[奈良芸術短期大学]]卒業。[[ABO式血液型|血液型]][[ABO式血液型|B型]]。
 
== 経歴・人物 ==
少年時代、少年誌に投稿を行い、何度か入選している。高校在学時に『[[週刊少年サンデー]]』に掲載された「母と子の詩」でデビュー<ref name="FPD" />。短大卒業後、中学校の美術教師を経て、漫画家となる。
「新田たつお」というペンネームは元々、友人の名前で、『台所の鬼』の執筆でペンネームとして使用した際、そのままデビューが決まってしまったため、以降もその名をペンネームとして使用している。
 
少年時代、少年誌に投稿を行い、何度か入選している。高校在学時に『[[週刊少年サンデー]]』に掲載された「母と子の詩」でデビュー<ref name="FPD" />。短大卒業後、中学校の美術教師を経て、漫画家となる。[[1975年]]に上京し、『[[月刊少年マガジン]]』([[講談社]])に掲載された「台所の鬼」で再デビュー<ref name="FPD" />。「新田たつお」というペンネームは元々、友人の名前で、『台所の鬼』の執筆でペンネームとして使用した際、そのままデビューが決まってしまったため、以降もその名をペンネームとして使用している
 
初期に手掛けた作品はナンセンスギャグ一辺倒で、初期の代表作『怪人アッカーマン』は下世話な風刺ギャグと破壊的なSFパロディでカルト的な人気があった。最初のヒット作で映画化もされた『[[ビッグマグナム 黒岩先生]]』あたりからシリアスなアクションが増え、以降も『[[こちら凡人組]]』などのヒットを飛ばす。