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==丁稚制度の消滅==
米軍に因る大日本帝国滅亡とGHQ占領統治にって消滅した{{要出典|date=2023年5月}}
<!--丁稚の数は江戸時代に最も多く、[[明治維新]]以降には次第に近代的な商業使用人へと転換されていった<ref name="世界大百科事典">『[[世界大百科事典]]』(平凡社)「でっち」の項目</ref>。-->
 
1928年3月13日、東京神田の巌松堂<ref>「巌松堂出版」として現存する</ref>少年店員42人、丁稚奉公制度に抗して争議して、なぐること、名前に「どん」をつけること、玄米食、積立金に反対し、月3回休みなどを要求した<ref>東京朝日新聞</ref>。
 
昭和3年の東京府の浮浪者調査でも、奴隷的な年季奉公が嫌われた結果として店員女中小僧の不足が生じ、事業者が農村部から誘拐或は150~200円で買って売る奴隷商人から購入して酷使され、堪えかねて逃亡し浮浪者となった事例が多数を占めている<ref>『近代日本の格差と最下層社会』Ⅰ章-貧困社会-どん底生活の記録</ref>。
<!--その後は商家を題材とした[[古典落語]]や、[[花登筐]]の作品あるいはそのパロディーとしての[[吉本新喜劇]]のコメディー(「[[あっちこっち丁稚]]」など)を通じて伝えられる存在となった。とくにテレビ放送創生期に放送された「[[番頭はんと丁稚どん]]」が人気を博し、当時は丁稚・小僧の制度が消滅していたことも関連して、この様な奉公人をさすことばとして丁稚が全国的に通用するようになった。