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* 「夢を叶えるための一つの通過点」というAKB48のコンセプトを気に入ったことが、AKB48の研究生(9期)オーディションに応募したきっかけとなっている<ref name="oricon"/>。
* キャッチフレーズは「金閣寺よりも輝きたい! 京都出身の横山由依です」<ref name="a02"/>だが、本人は金閣のある[[鹿苑寺]]に行ったことがない<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/21254/ AKB横山由依「金閣寺行ったことない」] - 東スポWeb(2012年7月7日)</ref>。
* 公式ニックネームは「'''ゆいはん'''」だが、「ゆい」「ゆいちゃん」とも呼ばれる。当初は「ゆいはん」という呼びに慣れておらず<ref>{{Cite web |url= https://web.archive.org/web/20110607224653/http://ameblo.jp/oshima-y/entry-10913382169.html|title= ゆい○○|accessdate= 2014-10-13|date= 2011-06-04|website= 大島優子オフィシャルブログ「ゆうらり ゆうこ」|archiveurl= https://megalodon.jp/2014-1013-1425-46/ameblo.jp/oshima-y/entry-10913382169.html|archivedate= 2014-10-13|deadlinkdate= 2014-10-15}}</ref>、『[[AKB48のオールナイトニッポン]]』では「ゆいはん」と書かれていたリスナーからのメールを「ゆいちゃん」と自分で読み替えて紹介していた。ファンに対しても「ゆいちゃんって呼んでください」と言っていたが、次第にゆいはんと呼ばれ続けたことで定着し、本人も認めている。元AKB48の[[梅田彩佳]]・宮澤佐江とのラジオでは、梅田が「ゆいはん」を「ゆいはむ」としばらく勘違いしていたと明かした。ちなみに宮澤は一時期「ゆいくん」と呼んでいた。呼び名は様々で、AKB48の先輩・同期メンバーは「ゆい」「ゆいちゃん」「横山」、元AKB48の[[倉持明日香]]は「はむちゃん」。一時期は「キャップ(キャプテン)」や「ニロはん」と呼ばれたこともあり、次期総監督になってからは「ジキソー」と呼ばれていた。後輩メンバーは「横山さん」「よこさん」「ゆいさん」「ゆいはんさん」と呼ぶが、一部の親しい後輩からはBBAと言われることも。ちなみに入山杏奈はファンであった為に横山が好き過ぎる余り「ゆいちゃんさん」と呼んでいた時期がある。一時期兼任していた[[NMB48]]でも同様の呼び方をされているが、元NMB48の[[三秋里歩|小谷里歩]](現・三秋里歩)は「横ちゃん」、[[白間美瑠]]は「よこはん」と称し<ref>[https://ameblo.jp/nmb48/entry-11430695447.html (*・ω・みるるんルン)ノ] - NMB48オフィシャルブログ・白間美瑠(2012年12月19日)</ref>、山口夕輝からは一時期「ビス」「ビスはん」と呼ばれ、元[[SKE48]]の[[松井玲奈]]は[[Google+]]の中で「はんさん」と称していた<ref>[https://plus.google.com/109380179669644031316/posts/A93pbUAcT2H#109380179669644031316/posts/A93pbUAcT2H 横山由依] - Google+(2013年3月15日){{deadlink|date=2023年6月5日}}</ref>。『[[しくじり先生 俺みたいになるな!!|しくじり先生]]』で共演する[[オードリー (お笑いコンビ)|オードリー]]の[[若林正恭]]は「横山ちゃん」と呼ぶ<ref>{{Cite web |url= https://times.abema.tv/articles/-/7061402|title= 「めちゃくちゃかわいい」横山由依、リモートお着替えで“ガチパジャマ”公開|website= ABEMA TIMES|publisher= AbemaTV|date= 2020-07-11|accessdate= 2021-10-16}}</ref><ref group="注釈">最近は[[アルコ&ピース]]の平子祐希なども呼んでいる。</ref>。また、カバン持ちで共演している[[アンタッチャブル]]の[[柴田英嗣]]からは「よこゆい」と呼ばれている
* よこやまこ、ゆいゆいはん、よこやまゆいりーなど、後輩とのコンビ名の場合に比率が多めになりがちである。
* ゆいはんの「はん」を取って語尾につけることで弄られることがある<ref group="注釈">元は地方組やNot yetからが大多数だったが、Not yetの特典映像から徐々に広まり、最近は後輩やファンからも弄られる。</ref>。例えばゆいはんが怒ったら「おこはん」など。
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* 地方組(大家志津香、北原里英、指原莉乃)は親ぐるみで仲が良い。また、卒コン直前SPで13期の岩立沙穂によると岩立の母と横山の母が仲良しで、横山が卒業発表した際は岩立の母が横山の母にLINEをしていたとの事。地方組は仲良しなのだが、なぜか指原莉乃との不仲説が浮上したことがある。また、同期の[[山内鈴蘭]]とは実際に多少不仲であったが、横山は不仲説が出たことに驚いていた。しかし、9期10周年公演での両者によるとある時にお酒を飲みながらお互いに大人になったね、などと話す中で誤解などを含め邂逅したと話している。
* メンバーに対しても気遣いがマメであり、LINEを素早く返したり長文を送ったり、卒業コンサートの前日に長文のLINEを送ったり、当日には出演メンバーの一人一人に手書きの手紙を書いて渡していた。また、行天優莉奈によれば卒業フォトブックが出た後、卒業するまでに全員にサインとメッセージを書いて渡せないメンバーの為に公演の楽屋に残していたという。
* 高橋みなみに次ぐ「大丈夫センサー」の持ち主と言われており、様々なメンバーを助けたり、また気づかれたことに驚かせたりしていた。それゆえに公演や雑誌インタビューなどでメンバーを助けたりした逸話やイケメン話が度々メンバーから語られている。逸話の例は現役時代[[高橋朱里]]が泣いて電話して来た時には家まで駆けつける、焼肉屋で号泣した現役時代の[[荻野由佳]]の話を優しく聞いてあげる、[[小田えりな]]によると、根も葉もrumorの撮影時、病気療養明けの柏木の代わりに最終日のダンスシーンのみアンダー参加だった為に当日座る席が分からず入口付近でボーッと立っていた所、それに気づいた横山が自分の横の席をこじ開けて小田を呼び、座らせてくれたと自身のshowroomで語っている、などがある。また、別枠で活動している状態だったチーム8を気にかけて優しく接しており「チーム8はAKBだよ」と発言したりしてチーム8メンバーを泣かせたりしていた。それゆえか、[[岡部麟]]は横山の卒業メモリアルフォトブックなどで横山さんは私たち(チーム8メンバーたち)のヒーローと書いている
* 候補生時代は地元の高校に通いながら、放課後はファーストフード店やファミリーレストラン、食品工場などでアルバイト、帰宅後に自主練習をしていた。金曜日の夜行バスで東京に向かい、土日はレッスンに参加し、再び夜行バスで京都に帰宅する日々を送っていた<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/202111270000675.html|title=横山由依「最高の思い出を作りましょう!」卒業コンサートがスタート|publisher=日刊スポーツ|date=2021-11-27|accessdate=2021-11-27}}</ref>。夜行バスの交通費と宿泊ホテルの利用料は、自身のアルバイト代で賄っていた<ref name="a09"/>。
* [[関東地方]]以外出身の研究生から正式メンバーへの昇格は横山で6人目、[[近畿地方]]出身者の昇格は初めてである。2010年6月、新チームAが新公演の準備を進める中、ダンスコーチから振り付けなどを学び、多忙でレッスンに参加できない[[篠田麻里子]]に内容を伝える中継役を、他の新チームAメンバーの協力を得つつ務めている<ref name="a09">『[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]』増刊 2011年5月1日号「まるっとAKB48スペシャル」([[光文社]]){{要ページ番号|date=2014年11月}}</ref>。後に友撮本の対談において篠田によると、本来は篠田のアンダーは横山では無い研究生だったが、篠田がたまたま研究生のレッスンを見る機会があり、そこで真剣に一生懸命踊っていた横山を見て「絶対あの子(横山)が良い!」とお願いしていたことを話した(篠田曰くは私のわがまま、とのこと)。また、横山の他叙伝において高橋みなみは篠田はプロ意識が高い為、研究生にはハードルが高かったが横山はしっかりとこなし、「あの子(横山)凄い」と後輩を誉める事が滅多にない篠田が褒めたことを話した。大家志津香は「(当時の)横山は毎日懸命に練習していた為、寝ながら(チームAの曲の)カウントを数えていた」と話し、同期の[[永尾まりや]]は「選抜は挨拶するのも恐れ多かったので、私じゃなくて良かったと思ったほどです」と発言している。