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シュロモ・ミンツ(Shlomo Mintz)は[[1957年]]モスクワ生まれの、イスラエルのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者、指揮者。
 
== 経歴 ==
2歳の時に[[イスラエル]]に移住し、その後[[アイザック・スターン]]や、ニューヨークの[[ジュリアード音楽院]]で[[ドロシー・ディレイ]]に学ぶ。11歳で[[イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団]]のソリストとしてデビューし、その後、[[イツァーク・パールマン]]の代役として[[パガニーニ]]の協奏曲を演奏するなど、早くからその才能を知られた。1980年代には[[ドイツ・グラモフォン]]の専属アーティストとして膨大な数の録音を残し、中でも[[パガニーニ]]の[[24のカプリース]]では、難所を完璧な技巧で弾きこなすだけでなく、持ち前のボウイング技術によって、低音から最高音部まで独特のぬめりのある美音を鳴らし、現在でも同曲の最高の演奏の一つとされている。
 
しかし1990年代に入ると、まだ30代前半であるにもかかわらず[[ドイツ・グラモフォン]]との契約を打ち切り、1990年代初頭に[[ショスタコーヴィチ]]のヴァイオリンソナタとヴィオラソナタをエラートからリリースした他は、録音活動は休止状態に入った。皮肉にもこの時期から演奏は円熟味を見せ始め、[[クルト・ザンデルリンク]]との共演による[[ベートーヴェン]]の協奏曲や、[[セルジュ・チェリビダッケ]]との共演による[[ブラームス]]の協奏曲が、コンサートのライヴ録音の[[海賊版]]音源で出回った。2000年を超えて、新たにマイナー・レーベルから[[モーツァルト]]の協奏曲全集、および[[ブラームス]]のヴァイオリンソナタ・ヴィオラソナタ全集をリリースした。
 
近年は来日公演が稀になっているが、[[2005年]]の5月に[[秋山和慶]]指揮の[[東京交響楽団]]に客演し、[[バルトーク]]のヴァイオリン協奏曲第2番とヴィオラ協奏曲を続けて演奏し、名演として話題になった。さらにこの時のアンコールでは[[パガニーニ]]の[[24のカプリース]]の第5曲をかつての録音よりもいっそう磨きのかかった美音で、完璧に演奏した。