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'''上杉 清子'''('''うえすぎ きよこ'''、生年不詳 - [[興国]]3年・[[康永]]元年([[1342年]])))は、[[鎌倉時代]]後期から[[室町時代]]初期の女性。[[上杉頼重]]の女。[[足利貞氏]]室。[[足利尊氏]]、[[足利直義|直義]]兄弟の母。
 
[[嘉元]]3年([[1305年]])に尊氏を生む。この際、[[紀伊国]][[粉河寺]]の観音に祈ったことから、後年[[建武]]3年([[1336年]])に粉河寺に[[戸帳]]を寄付し、さらに翌年には領地を寄進している。
 
夫貞氏の没後も足利家を支え[[足利尊氏]]、[[足利直義|直義]]兄弟が倒幕に動いた際には終始行動をともにした。[[室町幕府]]成立後は、実家である[[上杉家]]の興隆に力を用いた。
 
浄妙院殿雪庭と号し、世上は錦小路殿と呼ばれた。[[和歌]]にも通じ、「[[風雅集]]」に入選している。法号は果証院殿といい、墓は京都[[等持院]]にある。
 
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[[Category:上杉氏|きよこ]]