「ニシヤマ・ソウキチ」の版間の差分

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== 来歴 ==
 
1945年、当時日本施政下であった[[樺太]][[本斗郡]][[好仁村]]南名好(現[[ロシア連邦]][[サハリン州]]ネベリスク地区シェブニノ村)で7人兄弟の末子として出生。
 
[[南樺太]]には同年8月にソ連軍が侵攻、以来当地は旧[[ソヴィエト連邦]]の[[実効支配]]下に置かれ、翌[[1946年]]以降、米ソ協定締結に伴い日本人の引揚事業が開始されたが、ニシヤマ一家は[[サハリン]]に残留、トマリ市(旧[[泊居郡]][[泊居町]])に移住する。
 
トマリ市で学校を卒業後、[[ソ連軍|軍]]に入隊。[[スペツナズ]]において無線兵として勤務。除隊後、[[朝鮮人]]女性と結婚、2人の娘をもうけるが、長女は成人後[[ガン]]で死亡。次女は健在で、孫娘にも恵まれた。
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== エピソード ==
*両親は[[1936年]]、[[恵須取郡]][[恵須取町]](現ウグレゴルスク市)に炭鉱労働者として渡樺、ついで樺太南端にある南名好に入植、農業を営んでいた。
*幼少期からロシア名は「ヴィクトル」。トマリ市民からはヴィクトル・ソボルビッチあるいはサブロビッチ(父親の名前「サブロー」に由来)などの愛称で親しまれていた。
*[[ウラジーミル・ジリノフスキー|ジリノフスキー]]率いる極右[[民族主義]]政党[[ロシア自由民主党]]党員で、同党トマリ地区組織代表であった。[[北方領土]]問題については返還反対論者であった一方、日本との経済交流には前向きであった。
*[[日本語]]については「もう忘れた」との報道。
*トマリ地区長当選以降、同じく日系人で[[ペルー]]元大統領の[[アルベルト・フジモリ]]にちなみ「サハリンのフジモリ」というニックネームが付けられていた。
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