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また、時間的経過による推移を見た場合、大土地所有制は時代が下るにつれて発展したと考えられており、したがって地主の土地を耕作する客戸の数も増加するはずであるが、それとは反対に、客戸比率は低下してゆく傾向にあった。客戸/主戸の比率は、宋初は5割以上に達していたが、年々低下してゆき、[[熙寧]]5年([[1072年]])以降は5割を切り、この傾向は[[南宋]]まで変化がなかった。
 
===有田客戸===
*有田納税客戸
主戸・客戸はともに編戸(戸籍に編入された民)であったが、編戸となるには税産を所有することが条件とされ、客戸も主戸と同様に戸籍上に名が記載されていた。したがって、客戸は税産を所有し、両税を負担したとする説。この説によれば、主戸と客戸がともに税産を所有するため、税産所有の有無を基準とする両者の区別が意味を成さなくなり、税産基準説の否定につながる。主戸・客戸は税産によってではなく、僑寓基準によって区別されるとする。
この説は、後に税産基準説の立場から、保甲簿など役に関る戸籍には客戸の名も記載されたが、両税徴収に関係する五等丁産簿には主戸の戸籍のみが記載されていたとして、客戸は両税を負担せず、したがって税産を所有しないため、田を所有して税を納める客戸は存在しないとして批判された。
*有田無税客戸