「ジョーゼフ・ギンゴールド」の版間の差分

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'''ジョ'''('''ー''')'''ゼフ・ギンゴ('''ー''')ルド'''(正しい発音はギンゴルトであるが、日本ではギンゴールド、ジンゴールドと表記されることが多い)('''Josef Gingold''', [[1909年]][[10月28日]] - [[1995年]][[1月13日]])[[ポーランド]]、[[ブレスト・リトフスク]]生れのアメリカ人[[ヴァイオリニスト]]・音楽教育家。[[ウジェーヌ・イザイ]]の弟子。
 
[[1920年]]に[[アメリカ合衆国]]に移民し、[[ヴァイオリン]]を[[ウラディーミル・グラフマン]]に師事。[[1926年]]に[[ニューヨーク]]でデビュー。[[1927年]]に母と共に[[ヨーロッパ]]へ渡り、[[ブリュッセル]]で[[ウジェーヌ・イザイ]]に学ぶ。ベルギー、フランス、オランダ等で演奏活動を行った後、大恐慌のさなかにアメリカに戻る。そして家計を支えるために、ブロードウェイ等のオーケストラでヴァイオリンを弾く。[[1937年]]にオーディションを受けて[[アルトゥーロ・トスカニーニ]]指揮の[[NBC交響楽団]]に入団。7年間そこに留まった後、[[デトロイト交響楽団]]のソロ・コンサートマスターに就任して[[1947年]]まで在籍した後、[[ジョージ・セル]]の依頼によって、[[クリーヴランド管弦楽団]]の[[コンサートマスター]]に就任した。そして、[[1960年]]に退団して[[インディアナ大学ブルーミントン校]]の教職に就き、亡くなるまで指導教育活動を続けた。
 
アメリカのヴァイオリンの名教師として、[[イヴァン・ガラミアン]]、[[ドロシー・ディレイ]]と並び称され、[[ミリアム・フリード]]、[[ハイメ・ラレード]]、[[ジョセフ・シルヴァースタイン]]、[[ジョシュア・ベル]]、[[ギヨーム・スュートル]]、[[コーリー・ツェロヴセク]]、[[マーティン・ビーヴァー]]ら数多くの著名なヴァイオリニストを育てた。また同時に、数多くのヴァイオリン譜の校訂やヴァイオリン教則本の監修をしている。