「劉永 (蜀漢)」の版間の差分

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===生涯===
父が皇帝に即位すると、魯王に封建された。後に、兄によって甘陵王に改封された。[[正史]]によると、兄の劉禅より聡明で、人望があったという。また彼は兄より同時に勇猛果敢で、特に[[魏延]]ら武官達からの支持を受けて大いに絶賛されたといわれる。それが原因かどうかは不明だが、後年に兄の劉禅に疎まれて、同時に憎まれたという。やがて兄が[[陳祗]]や[[宦官]]の[[黄皓]]を重用した時、彼はその悪政を憎んで諫言した。だが、黄皓の讒言を信じた劉禅によって左遷され、彼は謁見どころか朝廷に参内する義務すら許されない立場に追い込まれてしまったという。
 
蜀漢滅亡後は兄と共に[[司馬昭]]によって[[洛陽]]に強制的に移り、そこで奉車都尉・郷侯に任じられた。彼の没年は不明だが、かなり長生きし、天寿を全うとしたと思われる。