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'''西尾 忠永'''('''にしお ただなが
{{武士/開始|西尾忠永}}
[[三河国]]西尾出身。[[徳川家康]]に仕え、2000石の所領を与えられた。[[1599年]]、[[武蔵国]]内に5000石の所領を与えられていた[[西尾吉次]]の娘を娶り、吉次の養嗣子となった。[[1606年]]、養父・吉次が死去したため、家督と所領を継いだ。▼
{{武士/時代|安土桃山時代から江戸時代前期}}
{{武士/生誕|[[1584年]]([[天正]]12年)}}
{{武士/死没|[[1620年]][[2月17日]]([[元和]]6年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]])}}
{{武士/官位|従五位下、[[丹後国|丹後]]守}}
{{武士/藩|上野白井藩主→常陸土浦藩主}}
{{武士/氏族|[[酒井氏]]→[[西尾氏]]}}
{{武士/父母|父:[[酒井重忠]]、養父:''[[西尾吉次]]''}}
{{武士/兄弟|兄:酒井忠世}}
{{武士/妻|正室:[[西尾吉次]]の娘}}
{{武士/子|[[西尾忠照]]}}
{{武士/終了}}
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[[1614年]]の[[大坂冬の陣]]では[[大和国]]の守備を任じられ、翌年の[[大坂夏の陣]]では[[大坂城]]を攻めて戦功を挙げた。その後、[[上野国]]白井、そして[[1618年]]には[[常陸国]][[土浦藩]]2万石に移封された。▼
▲慶長19年([[1614年]])の[[大坂冬の陣]]では[[大和国]]の守備を任じられ、
▲1620年1月14日死去。[[享年]]37。墓所は[[茨城県]][[土浦市]]の神竜寺。
元和6年(1620年)1月14日死去。[[享年]]37。後を長男の西尾忠照が継いだ。
[[Category:酒井氏|にしおたたなか]]
[[Category:西尾氏|たたなか]]
[[Category:戦国武将|にしおたたなか]]
[[Category:譜代大名|にしおたたなか]]
[[Category:江戸の大名|にしおたたなか]]
{{生没年|にしおたたなか|1584年|1620年}}
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