「下館藩」の版間の差分

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[[寛文]]3年([[1663年]])7月、[[三河国|三河]][[西尾藩]]より[[増山正弥]]が2万3000石で入るが、[[元禄]]15年([[1702年]])9月1日に[[伊勢国|伊勢]][[長島藩]]へ移封となる。代わって[[丹波亀山藩]]より[[若年寄]]の[[井上正岑]]が5万石で入るが、正岑は城地が狭くて若年寄としてふさわしくない土地であるとして下館に入ることも無く、同年9月28日に[[常陸国|常陸]][[笠間藩]]へ移封となる。わずか1ヶ月にも満たない藩主であった。その後、しばらくは再び天領となる。
 
翌年1月9日、[[黒田直邦]]が1万5000石で入る。宝永4年([[1707年]])に5000石を加増された。[[享保]]17年3([[1732年]])3月に[[上野国]][[沼田藩]]へ移封された。なお、この黒田氏は[[黒田如水]]・[[黒田長政]]父子で有名な[[筑前国|筑前]][[福岡藩]]の[[黒田氏]]とは何の血縁関係も無い。
 
代わって[[伊勢国|伊勢]][[神戸藩]]より[[石川総茂]]が2万石で入り、以後、[[石川氏]]の支配で[[明治時代]]を迎えた。