「アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー」の版間の差分

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'''アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー'''('''عبدالعزيز الرنتيسي''' ʿAbd al-Azīz al-Rantīsī, [[1947年]][[10月23日]] - [[2004年]][[4月17日]])は、[[パレスチナ]]の[[イスラム主義]]組織[[ハマース]]の幹部。[[イスラエル]]に対して同国が[[国家]]として存続することを一切承認しない強硬派の中心人物として知られ、軍事部門と政治部門に分かれた組織のうちの政治部門のリーダーであり、ハマース創設者[[アフマド・ヤースィーン]]殺害後の後継指導者であった。日本語では'''ランティーシー'''とも表記し、報道等では'''アブド・アルアジズ・ランティシ'''と呼ばれることが多い。
 
== 略歴 ==
1947年10月にパレスチナの[[ヤッファ]]近郊で生まれ、生後間もない[[1948年]]に家族にともなわれてイスラエルの占領を免れた[[ガザ]]地区に難民として移住した。[[エジプト]]の[[アレクサンドリア]]大学で[[医学]]を学ぶかたわら[[ムスリム同胞団]]活動に参加し始め、[[医師]]の資格を取得した後の[[1976年]]にイスラエル占領下のガザに帰った。
 
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最高指導者就任から一ヶ月に満たない2004年[[4月17日]]、再びヘリコプターによるイスラエル軍の暗殺作戦の標的となって搭乗する乗用車が攻撃を受け、重傷で病院に運ばれたがまもなく死亡した。
 
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[[Category:イスラム主義活動家|あふとうるあすいすらんていすい]]