ハーバート・ジャイルズ

ハーバート・アレン・ジャイルズ(Herbert Allen Giles, 1845年12月18日 - 1935年2月13日)は、イギリスの外交官、中国学者。『華英辞書』の編纂によって特に知られる。中国名は翟理斯(Zhái Lǐsī)。

生涯 編集

ジャイルズはオックスフォードに生まれた。チャーターハウス・スクールを卒業した後、大学には進学せずに1867年にに渡り、中国各地のイギリス領事館で働いた。1893年にイギリスに帰った。トーマス・ウェードの没後、その後任として1897年にケンブリッジ大学の中国学教授に就任し、1932年に退官するまで35年間その職にあった。

子のライオネル・ジャイルズも中国学者で、『孫子』などの翻訳がある。

主な著作 編集

 
華英辞書

ジャイルズは実用的な中国語の学習書を数多く書いたが、中でも『華英辞書』(A Chinese-English Dictionary, 1892)によって知られる。この辞書は漢字をウェード式のローマ字順に並べて英語で説明をつけている。熟語や例文は漢字のみで書かれ、音はつけられていない。各字には北京音のほかに平水韻、H・E・パーカーによる各地の方言音や朝鮮・日本・安南漢字音を附していた。ジャイルズはトーマス・ウェードの『語言自邇集』とともに使うことができるように[1]ウェード式のローマ字を使用した。

ジャイルズはまた中国人名辞典『古今姓氏族譜』(A Chinese Biographical Dictionary, 1898)を出版した。

ジャイルズは『聊斎志異』を英語に翻訳した。

ほかに『三字経』『仏国記』『荘子』『洗冤録』などの翻訳がある。

栄誉 編集

ジャイルズは、1898年と1911年の2度にわたってフランス文学院よりスタニスラス・ジュリアン賞を受賞している。

1922年には王立アジア協会の金メダルを贈られた[2]

評価 編集

『華英辞書』の歴史的価値と、ウェード式ローマ字がときに「ウェード・ジャイルズ式」と呼ばれることのほかは、ジャイルズの功績は現在ではほとんど忘れ去られている。ジャイルズは歴史学の学問的な訓練を受けておらず、その著作はアマチュア的と評される[3]。ジャイルズの翻訳は、難解な箇所を読者に無断で省略してしまう欠点があった[4]

辞書の作成でジャイルズと協力したパーカーは、辞書の初版の刊行の2年後に、ジャイルズが中国語の文献に無知で、辞書には非常に誤りが多いと非難した[5][6]。1912年の第2版では、パーカーの書いた序文とパーカーに関する言及の大部分が削除されている[7]。また、ジャイルズの辞書の特徴である(パーカーによる)方言音は、ベルンハルド・カールグレンが『Études sur la phonologie chinoise』の中で不正確であると非難した[8]

脚注 編集

  1. ^ 『華英辞書』初版序文 p.vi orthography
  2. ^ Aylmer (1997) p.66
  3. ^ Marshall (1984) p.532
  4. ^ Aylmer (1997) pp.5-6
  5. ^ Branner (1999) p.13
  6. ^ Marshall (1984) p.526
  7. ^ Branner (1999) p.15
  8. ^ Branner (1999) p.14

参考文献 編集