安藤 信民(あんどう のぶたみ)は、江戸時代後期の大名陸奥国磐城平藩6代藩主[1]。対馬守系安藤家11代。

 
安藤信民
時代 江戸時代後期
生誕 安政6年10月16日1859年11月10日
死没 文久3年8月10日1863年9月22日
別名 鏻之助
戒名 孝懐院殿即誉哲心超世大童子
墓所 東京都杉並区永福の栖岸院
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂
陸奥国磐城平藩
氏族 安藤氏
父母 父:安藤信正
兄弟 信民信守、鈺子、内藤正誠正室
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生涯 編集

安政6年(1859年)10月16日、5代藩主・安藤信正の長男として誕生。文久2年(1862年)に父が文久の改革で失脚し、8月16日には強制隠居処分に処されたため、その跡を継いだ。ただし、石高は5万石から3万石に削減され、なおかつ幼少のため、藩政は実父・信正が代行した。しかし、翌文久3年(1863年)8月10日に死去した。享年5。

継嗣がなかったため、信正によって信濃国岩村田藩内藤家から養子に迎えられた信勇(信民の従兄にあたる)が跡を継いだ。

系譜 編集

父母

脚注 編集

  1. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “安藤信民とは”. コトバンク. 2021年5月23日閲覧。