徳公(とくこう、紀元前710年 - 紀元前676年)は、の第6代公。寧公の次子。

徳公
第6代公
王朝
在位期間 前677年 - 前676年
都城 雍城
諡号 徳公
生年 前710年
没年 前676年
寧公
陵墓
宣公成公穆公

生涯 編集

憲公6年(前710年)、寧公の次子として生まれる。

武公20年(前678年)、同母兄の武公が死去したため、徳公が秦公となった。このとき33歳であった。

徳公元年(前677年)、雍城の大鄭宮に住み始め、犠牲300牢を供えて鄜畤(ふじ)[1]を祠った。この年、梁伯・芮伯が来朝した。

徳公2年(前676年)、初めて伏の節を行い、狗(いぬ)を殺して蠱(こ:悪い気)をふせいだ。この年に死去し、長子の宣公が立って秦君となった。

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脚注 編集

  1. ^ 鄜(陝西省の岐山付近)にある祭壇。

参考資料 編集

  • 史記』(秦本紀第五)