李恂

五胡十六国時代の西涼の第3代(最後)。冠軍侯。冠軍将軍。涼州刺史。李暠の五男。

李 恂(り じゅん)は、五胡十六国時代西涼の第3代(最後)の君主。公としては正式に即位しておらず、涼州刺史を称した。

末主 李恂
西涼
第3代君主
王朝 西涼
在位期間 420年 - 421年
都城 敦煌
姓・諱 李恂
生年 不詳
没年 永建2年(421年)3月
武昭王
年号 永建 : 420年 - 421年

生涯 編集

太祖武昭王李暠の五男として生まれる。嘉興4年(420年)に兄の後主李歆北涼を攻めて大敗し、太祖武宣王(沮渠蒙遜)に捕らえられて処刑され、都の酒泉が陥落すると、李恂は一族と共に北山へ逃亡した。後に李氏とゆかりの深かった敦煌に逃れた。このとき、北涼の追跡を受けたが、その軍を破って冠軍将軍・涼州刺史となって敦煌を支配し、兄の後を継ぐ形となった。

しかし永建2年(421年)3月に沮渠蒙遜の送り出した北涼軍の攻撃を受ける。李恂は敦煌に立て籠もって戦ったが、敗れて自殺した。これにより西涼は完全に滅亡した。

宗室 編集

父母 編集

  • 父:李暠(太祖武昭王)

兄弟 編集