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このウィキでページ「ロシアの后妃の名を冠したカテゴリ」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- を持った少女に育つ。乗馬も達者だったが、音楽は苦手。美貌と言えるほどの器量の持ち主ではなかったが、生来の優れた頭脳を活かし、知性や教養を磨いて魅力的で美しい女性となる努力を重ねた。本来、家柄的にはとても大国の后妃候補に挙がる身分ではなかったが、母ヨハンナの早世した長兄カール・アウグストがロシア…60キロバイト (5,745 語) - 2023年12月17日 (日) 15:35
- なお、ピョートルの存命時のロシアはグレゴリオ暦を採用しておらず、文中の日付はユリウス暦である。 ピョートルは1672年5月30日にツァーリのアレクセイ・ミハイロヴィチと2番目の后妃ナタリヤ・ナルイシキナの子として生まれた。ピョートル出生時に存命している兄弟としては、フョードル3世とイヴァン5世の…47キロバイト (6,584 語) - 2024年2月3日 (土) 07:37
- のことを取り仕切っていた妃など)である。 最初の皇后は前漢の劉邦の后・呂雉である。最後の皇后は愛新覚羅溥儀の后・婉容である。皇后で最長の在位は明の万暦帝の后・王喜姐である(42年と42日)。最短の在位は清の康熙帝の后・孝懿仁皇后である(1日)。最長寿の皇后は前漢の元帝の后・王政君である(84歳)。…36キロバイト (5,168 語) - 2024年3月18日 (月) 05:29
- カール1世 (オーストリア皇帝) (カテゴリ オーストリアの亡命者)を持つようになった。カールは家の礼拝堂での祈りを欠かさず、毎日夕方になると良心の糾明をし、Tafertの聖母マリアの聖堂に行くのを好んだ。 ある日、ライヒェナウ・アン・デア・ラクス(英語版)の領民が火事で家を失って困っていることを知ったカールは、自分の貯金箱を壊して貯めたお金をその家族に渡した…68キロバイト (8,047 語) - 2024年2月28日 (水) 17:10
- 雍正帝 (カテゴリ 出典を必要とする節のある記事/2023年11月)の時代には戦争が度重なるなどして国内財政が逼迫したが、雍正帝は即位するやその引き締めにあたり、在位僅か十餘年の間に経済的基礎を築きなおして、次代の乾隆帝の時に清朝は全盛期を迎える。 康熙帝の第4子として生まれる。母は徳妃のウヤ(烏雅)氏(孝恭仁皇后)。…27キロバイト (4,125 語) - 2024年4月27日 (土) 10:34
- 康熙帝 (カテゴリ 校閲の必要な記事)の中国地図『皇輿全覧図』を作成させた。 文字の獄をはじめたのも彼の代からであり、その政策は子の雍正帝、孫の乾隆帝にも受け継がれた。 康熙帝の第一子は康熙6年 (1667) 旧暦9月 (康熙帝が満13歳の年) に生まれて承瑞と名づけられ、第二子・承祐、第三子・承慶ともに名の頭に「承」の字を冠した…35キロバイト (5,362 語) - 2024年4月21日 (日) 12:21
- 阿骨打 (カテゴリ 12世紀アジアの君主)阿骨打(アクダ)は、金の初代皇帝(在位:1115年1月28日(1月1日) - 1123年9月19日(8月28日))である。女真(ジュシェン)族の完顔部(ワンヤン部)の族長であった。日本では、女真名である阿骨打(アクダ)に部族名の完顔を冠した「完顔阿骨打」という名でよく知られている。 祖父は、生女真の完顔部の…24キロバイト (2,894 語) - 2024年4月7日 (日) 04:59
- ティムール (カテゴリ 14世紀アジアの君主)シア語では「跛者のティムール」を意味する「タメルラング」「ティムーリ・ラング」「ティムール・イ・ラング」(Tīmūr-i Lang)とも呼ばれ、ペルシア語名のTīmūr-i Langが英語に転訛したタメルラン(Tamerlane)の名前でも知られている。「跛者のティムール(Tīmūr-i…117キロバイト (16,205 語) - 2024年4月23日 (火) 04:04
- ロクセラーナ (カテゴリ オスマン帝国の后妃)Roxolanaの他、Rossa、Ruziac として表記される。ロクセラーナは本名ではなくニックネームである。ロクセラニーとは15世紀までの東スラヴ人(現在のウクライナの住民)の呼び方の1つであり、彼女の名前はそのまま「ルーシ人の女」を意味する。 スラヴ系で、ウクライナ人かロシア…30キロバイト (3,547 語) - 2023年1月9日 (月) 09:00
- のものにすべく、「藤壺」や「六条御息所」などと関係を持ち、ついに天皇「朱雀帝」の后妃(こうひ)に内定していた「朧月夜」(光源氏の政敵の娘)と関係を持ったことから(第8帖)、流刑など報復を予期し26歳の時に自ら須磨に流れた(謹慎した…221キロバイト (34,356 語) - 2024年4月28日 (日) 08:19
- 近親相姦 (カテゴリ 出典を必要とする記述のある記事/2012年8月)南朝宋の孝武帝は母親の路恵男と近親相姦関係にあったという噂がある。東道定雄は、孝武帝の母親との近親相姦疑惑の真偽は分からないとしながらも、噂の出所は孝武帝の母親が孝武帝と顕陽殿で一緒にいることに嫉妬した后妃だろうと推測している。 『資治通鑑』には、賀蘭敏之が祖母の楊氏(武則天の母)と近親相姦関係にあったという話があるが、まず事実だとは考えられてはいない。…383キロバイト (64,241 語) - 2024年4月23日 (火) 02:04