王 歓[1](おう かん、生没年不詳)は、五胡十六国時代前燕の人物。君厚楽陵郡の出身。

生涯

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建熙元年(360年)、慕容暐皇帝に即位すると、国子博士に任じられた。慕容暐は足繁く王歓の元に通い、授業を受けた。

祭酒に任じられた。

前燕が滅亡すると隠棲したが、前秦の天王苻堅によって召し出された。

祭酒・太子少傅に任じられ、在官中に亡くなった。

人物・逸話

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貧乏暮らしにも不満はなく、学問に専念して仕事にも就かなかった。常に食べ物を乞い、詩を謳い、蓄えがない家といえども意に介していなかった。これを患った妻が、王歓が所蔵している書物を焼き、考えを改めるように求めた。王歓は笑って「卿は聞いていないだろうが、朱買臣前漢会稽太守)の妻が人々から嘲笑されることはなかった」と述べた。王歓は志を守り、ついには前燕の官吏となった。

脚注

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  1. ^ 史書によっては、王観または王勧と記されている。

参考文献

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