球磨荘
概要
編集元は平家政権の下で設定された蓮華王院を本所とする王家領であり、平頼盛をはじめとする平家一門もその経営に関わっていた。治承の乱の後、球磨荘は平家没官領として一部が没収の対象(ただし、頼盛の所領は後日返還)となり、建久3年〈1192年)に該当部分を王家領・関東御領・公領などに分割する片寄が実施され、人吉荘・永吉荘などが成立した。王家領とされた人吉荘には後に相良氏が地頭として入り、勢力の基盤としていくことになる。
参考文献
編集- 「球磨荘」(『角川日本地名大辞典 43』(角川書店、1987年) ISBN 978-4-04-622961-8)
- 工藤敬一「球磨荘」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)