田 豫(でん よ、生没年不詳)は、中国三国時代司空

事績

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并州太原郡の出身。『三国志』に伝のある田豫幽州漁陽郡出身)とは別人。

同郷の孫資の名声を妬み、宗艷・楊豊と結託して中傷を行ったが、孫資はこれに反論することも、恨みを抱くこともなかった。田豫は心服して許しを請い、婚姻関係を結ぶことを求めた。これに対し孫資は「(最初から)私には恨みの心はなく、何をもって許すというのか。貴方が私を悪く思ったのを、良く思ってくれれば良いだけです」と答え、長男の孫宏の妻に、田豫の娘を娶った。

後年、田豫は老年と病のために隠居したが、孫資からは引き続き厚遇され、田豫の息子は孫資によって孝廉に推挙された。

出典

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