由布武三郎

日本の官僚・弁護士

由布 武三郎(ゆふ たけさぶろう、文久2年2月24日[1]1862年3月24日) - 大正15年(1926年2月22日[2])は、日本の判事弁護士錦鶏間祗候[2]

ゆふ たけさぶろう

由布 武三郎
生誕 (1862-03-24) 1862年3月24日文久2年2月24日
死没 (1926-02-22) 1926年2月22日(63歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学法学部
職業 裁判官官吏弁護士
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経歴 編集

福岡県出身。熊本バンドのメンバー。1881年明治14年)、東京大学法学部を卒業。始審裁判所判事、上等裁判所判事、重罪裁判所裁判官、控訴院評定官、地方裁判所所長を歴任した。その後、文部省に転じ、参事官視学官高等商業学校(現在の一橋大学)校長などを務めた。1897年(明治30年)、行政裁判所評定官に任じられ、1910年(明治43年)に退官した。退官後は弁護士を開業した。1918年(大正7年)12月16日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[3]

栄典 編集

脚注 編集

  1. ^ 人事興信録 1911.
  2. ^ a b 『官報』第4050号、大正15年2月26日。
  3. ^ 『官報』第1912号、大正7年12月17日。
  4. ^ 『官報』第193号「叙任」1884年2月23日。
  5. ^ 『官報』第1030号「叙任」1886年12月4日。
  6. ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。 

外部リンク 編集