相馬 斉胤(そうま なりたね)は、江戸時代中期の陸奥国相馬中村藩の世嗣。通称は伊織。

 
相馬斉胤
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦12年9月1762年
死没 天明5年7月29日1785年9月2日
別名 伊織(通称)
戒名 洞龍院殿雲外恭眠大居士
陸奥相馬中村藩世嗣
氏族 相馬氏
父母 相馬恕胤青山幸秀
兄弟 信胤斉胤祥胤因胤肥胤
佐竹義祇正室、智恵子
テンプレートを表示

略歴 編集

8代藩主・相馬恕胤の次男として誕生。母は青山幸秀の娘。

確証はないが、在世中の期間は徳川家斉が将軍になる直前、すなわち将軍・家治の世子となっていた時期に相当するため、何かしらの理由によって「斉」の字を彼から賜ったものとみられる(父・恕胤が徳川家重御目見することがあったので、斉胤も家治・家斉に御目見する機会があったのではないかと推測される)。

兄・信胤が夭折したため、安永元年(1772年)に嫡子となったが、病弱のため翌安永2年(1773年)に廃嫡された。その後、相馬中村城下に移り住み、天明5年(1785年)死去した。戒名は洞龍院殿雲外恭眠大居士。

弟・祥胤が斉胤の後の嫡子となり、9代藩主に就任した。