社会党中間派(しゃかいとうちゅうかんは)は、日本社会党左派右派の間に属する日労系[1]グループ[2]右派が社会民主主義、左派が労農派マルクス主義を掲げたのに対して民主社会主義を模範とした。代表的な人物として石橋政嗣などがいる。

歴史 編集

第二次世界大戦戦後処理をめぐっては、右派とともに講和条約の締結には賛成、日米安保には反対の立場をとり、両条約に反対する左派と対立した。[3][4]

関連項目 編集

注釈 編集

  1. ^ 日本労農党(にほんろうのうとう)|用語|ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−”. ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−. 2024年1月23日閲覧。
  2. ^ 無産政党(むさんせいとう)|用語|ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−”. ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−. 2024年1月23日閲覧。
  3. ^ 5-14 講和条約・日米安保条約 | 史料にみる日本の近代”. www.ndl.go.jp. 2024年1月23日閲覧。
  4. ^ 講和で分裂する社会党”. 日本経済新聞 (2012年4月21日). 2024年1月23日閲覧。