第65回ダービーステークス

1844年5月22日に施行された第65回ダービーステークスについて記述する。レースにまつわる4つの不正行為が発覚し、ダービー史上最も異常なレースといわれる。

レース結果編集

  • 優勝馬 オーランド(1位入線馬ランニングレインが失格したため2着から繰り上がり)

不祥事編集

ランニングレインとマカベウスのすり替え事件編集

レース施行前年の1843年、マカベウスという名の3歳馬が死亡したとレーシングカレンダーに記載された。しかし実際には同馬は生きており、2歳馬のランニングレインとすり替えられた。ランニングレイン(ことマカベウス)に対しては同年10月のレース施行時、さらに翌年の第65回ダービー施行時にも異議が申し立てられたが出走が許可され、ダービーに優勝した。

レース後、2着に敗れたオーランドの馬主J.ピール大佐は、ジョージ・ベンティンクに勧められレース結果に異議を申し立てた。ランニングレインの馬主に対する優勝賞金の支払いが停止されたことからこの一件は裁判に発展し、その結果ランニングレインの優勝は取り消され、オーランドが優勝馬とされた。

レアンデルのすり替え事件編集

レース前には出走馬レアンデルに対する異議申し立てもなされたが、出走が認められた。レアンデルはレース中にランニングレインと衝突して故障を発症し安楽死処分されたが、後に死体を検査したところ同馬の年齢は歯の状態から少なくとも6歳であることが判明した。なお、同馬の馬主には過去にドイツで競走馬のすり替えを行った前科があった。

ゼアグリバックの八百長編集

1番人気であったゼアグリバックは騎手が故意に競走能力を発揮させない八百長を行い、レースに敗れた。

ラタンの八百長編集

2番人気のラタンは騎手が故意に競走能力を発揮させない八百長を行い、レースに敗れた。(ゼアグリバックの八百長との間に関連性はなく、別個に発生した。) 。ラタンの馬主は八百長で敗れたショック(馬主は八百長に関与していなかった)のあまり倒れ、レースの2日後に死亡したとされる。

参考文献編集

  • ロジャー・ロングリグ(著) 『競馬の世界史』原田俊治(訳)、日本中央競馬会弘済会、1976年。